今から2年半ほど前、それまでも呼吸は苦しかったのですが、それでも階段の上り下りや、少し走る程度のことはできていました。それが突然それらのことが困難になるほど呼吸が苦しくなり、真剣に死を意識し始めました。
新年は迎えられるかな?春のお彼岸は無理かな?など、1か月後、1週間後、明日生きているのだろうか?と、死のことばかり考えていたのです。
そんなある日、いつも着ているユニクロのルームウエアー上下がひどく痛んでいることに気がつきました。太もものあたりは中からゴムのようなものがたくさん飛び出していました。妻は買い換えなさいといっていましたが、私自身は買ってもすぐに死んでしまうからもったいないと感じテロンテロンになったまま着用していました。
それから半年経って当時の先生がおっしゃってくださった「あなたを救いたい」との言葉により生きる希望のようなものが生まれ、在宅酸素療法も始まって呼吸が幾分楽になったことも相まって欲が出てきたようで、ユニクロのルームウエアー上下セットを購入しました。しかも図々しくも2セット購入しました。
それからは阿弥陀如来や、親鸞聖人、そして祖父母や母が、いつも私のそばに寄り添い励まし見守ってくださっておられることを実感として持つことができ、悦びの中に自然と南無阿弥陀仏とお念仏がこぼれ、前向きに歩んでこれたように思います。
そんな毎日を送る中、今年の1月に母の1周忌を無事に勤めることができた安堵からか、父が急に亡くなってしまわれました。驚きましたが、なんとしても父を見送るまでは生きるのが私の務めだと思っておりましたからなんとなくホッとしたのも事実です。ところが父の葬儀の打ち合わせで大勢の方と会う中に、ずっと注意し続けていたコロナに罹患してしまい緊急入院、父の葬儀には出ることは許されませんでした。
入院初日は高熱と異常な呼吸の苦しさに、いよいよ死ぬのだなと覚悟しました。しかしコロナ治療薬の点滴のおかげか翌る日にはずいぶんと楽にしていただけました。ですが、個室内にあるトイレに歩いて行くのも困難となり、酸素量が5リットルから7リットルに変更されました。これでもかなり辛いのですが、家庭用の機械では最大7リットルが限度なので7リットルに設定されました。
これは家に帰れても、ベッドから動けなくなってしまうのではないか?と怯えながらの治療が続き、一度悪化した肺がよくなることはない病気ですから苦しいままに退院となりました。
一番恐れていた動けなくなるということはありませんでしたが、それでもトイレに行くのもとても苦しい状態になってしまいました。たくさんの友人知人からお見舞いや励ましの言葉をいただきましたが、嬉しいものもあれば、ちょっと迷惑なのもありました。中には法話会へのお誘いなどもありましたが、家の中もろくに移動できない私が会場まで行くなんて考えたくもない苦行です。当然断りました。
つい先日の検診で主治医から「延命処置を希望するか家族と話し合ってください。」といわれてしまいました。違う病院の主治医からは医療用麻薬が処方されました。こうなってきますと、学ぶ気持ちも失せ、聖典を開くこともなくなり、唯一の楽しみは息子たちのご法話を聴かせていただくだけとなり、これでいい。このままで最期を迎えようと思うようになりました。何もする気がなくなってしまったのです。
そんなある日、息子が「お父さんの法話を毎月楽しみにしているおばあさんが学院に通っておられるんだよ。お父さんに毎月ありがとうって言ってたよ。」と話してくれました。これはショックでした。80歳を過ぎておられるご婦人が浅草の学院に通って勉強をなさっておられるのです。その方ともうお一人私が学ばせていたときよりも前から週1で通ってこられておられるご婦人も10年以上経った今も通い続けておられるというのです。立ち止まって諦めの日々を過ごしている私の目を覚まさせてくださった思いです。日々一歩一歩歩み続けておられる方がおられるのに、私ときたらもうこれで充分と諦めながら立ち止まり思考停止しているのでした。
一日一歩です。三日で三歩。三歩進んで戻っている暇はありません。四日目には四歩目を歩みたいものです。歩めなくなってきてはいますが、気持ちと心は歩みを止めずに如来の本願を聴いて聴いて感謝の日々を、お念仏の大道を歩んで参りたいものです。