相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『如来のすくいで 今日も生きられる』(2025年2月 1日)

 覚悟はしておりました。とくに母の一周忌を無事に勤めることができた後は注意をしておりました。しかし1月14日に先代住職である父が、如来の御光に包まれてお浄土へ往生して往かれました。

 食事も摂れず、お水も飲めなくなっておりましたからいよいよ近いのだろうなと思いつつ亡くなられた前日の1月13日に、本堂やお内仏にて葬儀に必要になるものを用意しました。用意をある程度済ませて父の顔を見ながら少しお話ししようかと思ったのですが、いかんせん酸欠により身体が動かず、後ろ髪を引かれる思いもしましたが自室に戻りました。

 そして翌る14日早朝、毎朝父のお世話をしていた坊守から内線で「お父さんが亡くなっておられる。」と告げられました。僕なりに急いで用意をして父の元に参りますと、父は冷たくなっておりました。兄弟や必要なところに連絡をしつつ、なぜ昨日少しでも顔を見せ、お話をしなかったのかと悔やみ続けました。
父が亡くなっても泣かないかもしれないと思っていましたが、自分の体調を言い訳として、同居していながらもあまり顔を合わせなかったことから、後悔ばかり湧き上がり、それと同時に、父のなんとしてもこの相模原を阿弥陀様の仏国土にするのだという気概でもって法を説き続けられた姿も思い出され涙が止まりませんでした。

 しかし少し落ち着きますと、ホッとしたのも私の心の一面です。
それは間質性肺炎が悪化し続け、在宅酸素療法も始まった頃から、なんとしても父を見送るまでは絶対に頑張って生き続けよう。それが長男のせめてもの務めだと心に決めておりました。とはいえ、父は癌を患ってからも毎日ウオーキングをしていたほど元気でございましたから、私の方が早いだろうな・・・親不孝なことだなとも思っていたのです。それがまさかのまさか、本当にいったいなにがどうなったのか家族一同理解できないのですが、去年の暮れから一気に衰弱し、寝たきりになられ、食事も水も摂れなくなっていかれたのです。
 その頃から、「早くお母さんのところに往きたい」と言い出されました。そんなこと言わずに元気になってほしいと家族誰もが思い、お世話させていただいたのですが、母の一周忌が無事に勤まったことに悦び、ホッとしたかのように母も往かれた阿弥陀如来の御元に往生して往かれました。

 母のご葬儀の時より一段と動かなくなってきている身体に鞭を打ち、父のご葬儀に向けてあれこれ用意を進めていきました。亡くなられて2日目の夜中から咳が止まらなくなり、身体の痛みと熱に苦しみました。朝になりいつも診ていただいている北里大学病院に行きますと朝から夕方まで隔離され、コロナだと告げられました。5日後には父の葬儀があります。それまでに退院させてくださいと懇願しましたが、間質性肺炎の急性増悪が起こる可能性が高いということで許されず2週間の予定で入院と告げられました。

 目の前が真っ暗になりました。頭は真っ白になりました。コロナ発生よりこの方、コロナにはとくに気をつけて生活しておりましたのにこの大事なときに、よりによって入院です。なにがなんでも父を見送るのだということを考えて生きてきたのにまさかのそばにいて差し上げることも出来ないという情けなさに、もうろうとする頭と身体でベッドに横たわりただただ泣くことしか出来ませんでした。

 そのときです。阿弥陀如来の救済をつくづく身体に感じました。阿弥陀如来の本願が心に染み渡って参りました。思い通りになんて何一つならない人生でありました。事ここに至って、たくさんの方のご協力なしにはなにも出来ないのにもかかわらず、まだ自分で何でもこなそうと思い込んでいる私でありました。
情けない。情けない。こんな長男で申し訳ない。と涙していた私に、「それでいいのだよ。おまえは十分頑張っているよ」と如来の声が聞こえたように感じました。

 早速息子に喪主を交代していただき、お手伝いいただけるお寺さん、兄弟にすべてお任せし、全体のことは妻の坊守に丸投げでひたすら療養に努めました。
お陰様で多くのお檀家様のご参列も賜り素晴らしいご葬儀が執り行われました。

 私の力などなんの役にも立ちません。すべては阿弥陀様のおすくいのお陰で、今日も生きていかれるのでありました。南無阿弥陀仏

 お父さん、ありがとうございました。

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