相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『あなたを救いたい その御心に涙こぼれる』(2023年5月 1日)

 この4月に北里大学病院呼吸器内科の主治医が交代により4人目の先生になりました。数十年前の北里大学病院といいますとそれこそ数分診察をしていただくのも1日覚悟をしていったものですが、間質性肺炎でお世話になって以降のここ7~8年は待たされても30分といったところで助かっていました。しかし4月最初の診察は、前の先生からの引き継ぎだからか2時間以上待たされました。さすがにうんざりしてきた頃にようやく私の番が来て診察室に入ることができました。

 この先生は前の先生の上司に当たる方のようで、今までの先生とお話をさせていただいたことなどを相談しますと、前の先生とは考え方が少し違うようで若干今後の観察や善後策などが変わりました。しかし前の先生と一致していることも当然ありまして、そのうちのひとつが「在宅酸素療法」をした方が良いとのことでした。低酸素状態が続くと心筋梗塞の可能性が跳ね上がるなどということもあり、他にも全身の臓器に悪影響を与えるとのことです。

 在宅酸素療法に関しては、今のような状態になってしまった去年の秋から勧められていました。しかしご法事などのお勤め時に鼻から呼吸をしていては息継ぎが間に合わないから無理ですと断り続けてきました。今回も同じ説明を先生にしたのですが、そのとき先生が「この間質性肺炎という病気はとても悪い病気です。治療法もありませんし、お薬もありません。だけど私は心からあなたを救いたいと思っています。」とおっしゃってくださいました。

 最初にも書きましたが今回の先生で4人目の先生です。しかし、「あなたを救いたい」とおっしゃってくださった先生は過去にはおられませんでした。そう思ってくださっておられたとしてもはっきりと伝えてくださった初めての先生でした。この先生のお心に触れたとき、私の中で「この先生にすべてお任せしよう。」と覚悟ができました。
 そう決めますとすぐに在宅酸素療法が始まりました。在宅酸素療法とは皆さんもたまに見かけたことがあるかもしれません。カートのようなものからゴムのチューブが伸びていて鼻から息を吸う治療法です。家庭内にあっては据え置きタイプのものになります。数年前から母がこの治療をしていますが、とにもかくにも酸素チューブの取り回しが煩わしいのです。同じ部屋の中を少し移動するだけでもどこかに引っかかってしまうとそれ以上先に進めません。トイレやお風呂に行くにも食事の時も睡眠中もチューブをつけたままです。なんとも煩わしいです。

 現在の私は階段を2階まで上がるだけで酸素飽和度が75あたりまで落ち込みます。ここまで落ちますと非常に苦しく、身体が動かなくなるほどです。そこまで行かずとも驚くほど手が震えます。しかしこの治療を始める前はそこから酸素飽和度93に戻るまでにかなりの時間を要しましたが、今は1分ほどで95以上にまで戻ってきます。劇的に呼吸が楽になった!ということは残念ながらないのですがもっと早くやっておれば良かったと思ったりもしています。

 私の病気の話ばかり書いてしまいましたが、「この先生を信じてすべてお任せしよう。」と決めることができたのは「あなたを救いたい。」という一言でした。お心でした。そう心が決まりましたらそれまでは、お勤めの時に息継ぎが間に合わないだのといっておりましたが、「そうではなかった。まだ変な自尊心にとりつかれ、こんなものかっこ悪くてつけられない。人からどう見られるか分からない。煩わしい思いをするのはまっぴらごめんだ。まだまだこんな機械なしでも生活できる。と自力にしがみついていただけだったのだな。」とはっきりと諦らかにできた思いです。とはいえ、先生がいくら私を救いたいと思ってくださっても、治療法も薬も現時点ではありません。仮にできたとしてもそこは人の知恵の範囲です。そのお心が有り難いことには変わりはありませんが、やはり私に絶対の穏やかで安楽なる救済をもたらしてくださるのは人の知恵を超えた仏様の智慧しかないのでありましょう。

 蓮如上人の御文に「阿弥陀仏ともうすは、いかようなるほとけぞ、また、いかようなる機の衆生をすくいたまうぞというに、三世の諸仏にすてられたる、あさましきわれら凡夫女人を、われひとりすくわんという大願をおこしたまいて、~中略~ すでに諸仏の悲願にこえすぐれたまいて、その願成就して阿弥陀如来とはならせたまえるを、すなわち阿弥陀仏とはもうすなり。」とお示しくださっておられます。私のような他のどのような仏様であられても救えないようなものをすくい取る。もしそれがかなわなければ私は仏にはならないとお誓いなさって仏様になられたのであります。まだ自分でなんとかできる。そんな思いもたまに湧き起こってまいりますが、そんな私だということは百も承知で、「そんなあなただからすくうのだ」とのお誓いです。なんとも有り難いことではありませんか。「あなたをすくわずにはおられない」そのお心に涙がこぼれます。合掌

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