相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ』 (2023年3月31日)

 40才の春彼岸の少し前、くも膜下出血による脳動脈瘤クリッピング手術を受けました。その日は朝から大変寒かったのですが、まったく火の気のない納骨堂で夕方まで作業をしていました。なんとか予定していた仕事を終え暖かい自室に入りコタツに入った途端、頭の中で爆弾が爆発したかのような痛みに襲われました。最初は薬を飲んで寝てしまおうと思いましたが、これはおそらく死に至る痛みだと思い直し、妻に病院に連れて行ってもらいました。自分の足で診察室に入り、自分で説明をしたものですから、先生は神経痛との診断を下されました。しかし妻がレントゲンくらい撮ってくださいと頼み込んだことにより、撮影をしたところ、大変な状況になっており、そのまま緊急処置室のようなところに搬送され、翌る日手術ということになったのです。

 集中治療室に移動された後は、ずっと「今まで大勢の方に、明日があると約束された人はいないのですよ。出る息入るを待たぬならいなりと親鸞聖人も蓮如上人もお示しくださっておられるのですよ。などと言ってきたけれど、自分が一番分かっていなかったのだな。今夜僕は死ぬのだな。まさにお教えの通りであったのだな」などと思っておりました。翌る日、手術室に移される間に妻に対して、お別れの言葉も言いました。妻は絶対に死なないとの自信があったようですが。

 それから1か月で退院ということになりました。その間毎日、妻が見舞いに来てくれたました。病室で話すのも気が滅入りますので毎日車椅子で展望室まで連れて行ってもらったのですが、退院の少し前からその病院の展望室から市役所通りに咲き誇る桜の花がそれはそれは見事に見ることができました。

 そのとき、「あぁお陰様で今年も見事な桜の花を見ることがかなった。この桜を見ることを楽しみにしておられたのに、見れることかなわず亡くなっていかれた方もたくさんおられることだろう。自分もまた来年もこの桜の花を見たいものだと思うものの、それがかなうかどうかはまったく分からないのだな。」とつくずづく考えさせられました。

 退院当初は、いただいたこの命、一日たりと無駄にせず日々自分のできることを精一杯させていただこうと努力をしました。そして夜ベッドに入るときには、また一日励まさせていただけたな。有り難いことでした。また明日目が覚めたならば精一杯生かさせていただこう。と日々を過ごしておりましたが、喉元過ぎれば熱さ忘れると言うとおり、だんだんいい加減な毎日を送るようになりました。

 本気で死を覚悟しましたから、死という問題は日々意識しておりましたが、とはいえ今日明日ということはないだろう。などという思い上がった心が沸き起こってきました。白骨の御文でお示しくださっておられる「朝には紅顔あって、夕べに白骨となれる身なり」を体験したにもかかわらず、また明日も明後日もあるのだと思い込んでいるのです。

 今月の掲示板のお言葉は親鸞聖人が京都の青蓮院というところでお得度を許されたときに詠まれた有名な詩であります。得度は許されたものの、今夜はもう遅いからまた明日明るくなってから得度式を行いましょうとのお言葉に返された詩と伝わっております。桜の花が見事なそうだから、明日にでもお花見に出かけましょうと思っていて、夜中に嵐で桜の花が全部散ってしまったら取り返しがつかないということですが、これは明日得度を許されたと安心して帰ってしまって夜中に無常の風が吹いて死んでしまったならば後悔しても仕切れないではありませんか。今この一瞬一瞬を精一杯生きなくては何のために生まれてきたのか分かりません。との思いが込められた私たち一人一人が心して心に刻む必要のある詩だと思います。

 私たちは誰もがいつかは死んでいく身だと理解はしています。しかし誰もが、とはいえまだ先の話だと思い込んでいるのも現実でありましょう。当然皆さんが長生きしてくださるのが一番喜ばしいことではありますが、いつどこでどうなるか分からない命をいただいている私たちであります。日々好日という言葉もありますが、気持ちの持ちようでどんな日も良い一日になるというような意味ではないでしょう。辛い日も苦しい日も悲しい日も、逆に楽しい日も嬉しい日もあるでしょうが、そんな一日一日を無理をすることはありませんが精一杯生ききることで日々好日の日々が送れるのでしょう。合掌

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