去年の12月の法話にも書かせて頂きましたが、今年は聖徳太子生誕1450年目の節目でございます。それを記念しまして奈良県にある複数の聖徳太子ゆかりのお寺様で大きな法要が勤められたようでございます。
そんな記念すべき年の7月8日に聖徳太子が御活躍なさった大和朝廷のあった場所で安倍元首相が自作の銃によって殺されました。なんとも恐ろしく悲しい入すでございます。このニュースを耳にしてすぐに定例法話会がありましたが、あまりにも衝撃的なニュースでなにを話したのかよく思い出せません。
定例法話の後、またすぐにテレビのニュースを観ていましたが、政府の方々や多くの国会議員の方々が口々に「選挙期間中にこんな暴挙に出るとは民主主義に対する冒涜だ!決してこのようなことには負けない!」というようなご発言をなさっておられましたが、確かにそれはそうなのでしょうが、先ず安倍元首相の安否を心配するのが先なのではないかと若干気持ちの悪さを感じました。
とくに今ここで大きな問題として沸き上がってきたわけではありませんが、なんどもお話しをさせて頂いておりますように新型コロナウイルスが発生してからというもの、なんとも恐ろしく、悲しく、寂しいニュースばかりのように感じてなりません。マスクや消毒液の奪い合いが起こってみたり、それにともなう窃盗や転売で暴利を貪るものが出たのも記憶に新しいことですし、マスクをしていないしているという言い争いが暴力事件にまで及んだり、政府や自治体を騙す詐欺事件も後を絶ちませんし、世界に目を向ければロシアのウクライナ侵攻も一向に収束する兆しはありません。
そこでつくづく思いますのは聖徳太子が日本における最初の憲法である十七条憲法の1番最初に「和を以て貴しと為す」と明記されたことです。和やかで安穏たる国作りを目指されたのであります。大和朝廷とはまさに大いなる平和を目指した国と言うことでありましょう。倭国と表記されていた我が国も鎌倉時代あたりから和国と書かれるようになりました。親鸞聖人も御和讃の中で「和国の教主聖徳皇」(聖徳太子は日本におけるお釈迦様)とお遺しになっておられます。
そのような聖徳太子が目指された精神により育まれた和の精神や文化が世界で賞賛を受けていると聞きます。和の精神とはこれも12月の法話に書かせて頂きましたが、聖徳太子が大事にされた仏教精神である四摂法(ししようぼう)のお心でしょう。四摂法とは「布施(ふせ)」「愛語(あいご)」「利行(りぎよう)」「同時(どうじ)」の4つの行です。布施とは見返りを求めず相手のためにできることをさせて頂くということであり、愛語は愛の籠もった優しい言葉で語りかけることです。利行とは利他(りた)のことで自分の利益を追求するのではなく相手のためになることを心がけることです。最後の同時とは相手の身になって物事を考え行動するということです。
しかし現代の日本は、世界の方々が賞賛してくれるに値するような国でしょうか?なにをするにも見返りを求め、人から受けた恩を忘れ、他人を誹謗中傷することしきりにして、相手のことなど一切考えずに自分の利益ばかり追求するような自分ではないでしょうか。聖徳太子は今どのようなお気持ちで、日本を見ておられるのでありましょうか。
聖徳太子はこの人間の世界をご覧になられて「世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」とおっしゃいました。世の中は人を騙し、裏切り、時には殺めるようなことばかりで嘘や偽りしかない。しかしただ仏の願いだけが真実であるとおっしゃったのです。そしてその心をご自身の中にも見られたのではないでしょうか。だからこそ四摂法を心がけたのだと思うのです。
そんなことを考えていましたら、とても心に温もりを感じる素晴らしいニュースが耳に飛び込んできました。奈良県の高校野球決勝戦で優勝された天理高校メンバーが、優勝を決めたときにマウンドに集まって喜び騒ぐことを止め、静かに整列をして頭を下げ相手を賞賛されたのだそうです。それは相手高校の主要メンバー12人がコロナ陽性者となり試合に出ることができず普段は試合に出ることのかなわない選手たちが頑張ったことを知っていた天理高校が、相手を思いやり、相手の立場となり、優しい言葉と態度でいたわった姿のなのでありましょう。思わず涙がこぼれます。私たちも彼らのような心を見習いたいものです。合掌