相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『憎悪は憎悪によって止むことはない』(2022年5月 1日)

 とある開業医の先生とお話をすることがありました。この先生は80才を超えていらっしゃるのですが、生涯現役とおっしゃって自分が死ぬまで人を助けるとおっしゃる方で、尊敬できるおひとりです。ところがこの先生の口から耳を疑うようなお言葉が飛び出してきました。
「誰かプーチンを殺してくれないかな。プーチンさえいなければ戦争も終わるだろうに。」とおっしゃるのです。

 ひどいことを言うもんだな・・・人を殺せばいいなんて・・・自分が死ぬまで人を救うというような高潔な決意で生涯をかけて医療に携わってきた方の口からまさかそんな言葉が飛び出るなんて・・・と驚きました。

 ロシアがウクライナに侵攻し戦争を始めて2か月が過ぎました。テレビのニュースでは連日連夜、ウクライナの子供達や女性、一般市民が虐殺されているとの報道がされております。コメンテーターの中には先ほどの先生のように「プーチンが暗殺でもされないかぎりこの戦争は終わらない。泥沼化する。」などと言っている方も目にします。

 一刻も早くこの戦争が終わってくれることを願っていますし、小さな子どもや、家族を殺された方々の激しく痛々しい悲しみをニュースで観るたびに心が張り裂けそうです。このまま戦争の終息の目処が付かないことが続いた場合、報道されているように核兵器が使われるような事態になりかねません。そんなことを感じておりますと、さすがに殺せばよいとまで思いませんが、先生やコメンテーターが言うようなことを感じたりもするのです。

 2001年、全世界を恐怖に陥れたアメリカ同時多発テロ、いわゆる911の首謀者だとされるビンラディンを、2011年アメリカ軍は潜伏先を急襲し殺害しました。この時の映像もニュースで放映され驚きましたが、それよりも私が大変驚き、いまだに忘れられないのがアメリカの人々が、新年を迎えるカウントダウンの時の映像かと勘違いするような、大勢が街に飛び出して喜び、大騒ぎをしている風景でした。
 大勢の人たちを殺し、大勢の家族をどん底にたたき込み、世界中を恐怖に陥れた首謀者をやっつけたのですから、気持ちは分かります。分かりますが、それでも人を殺したことをみんなで喜び、街に繰り出して大騒ぎをし、見知らぬ人とも肩を抱き合うのはとても異様に見え、とても恐ろしい風景に感じたのです。

 この戦争の最後はいったいどうなるのでしょうか。世界中が非難しているロシアが負けたとき、世界はロシアに対していったいどのような賠償や責任を課すのでしょうか。大統領は死刑にでもなるのでしょうか。罪のない大勢のロシア国民が困るような賠償責任を課すのでしょうか。

 今月の掲示板にも釈尊が遺されたお言葉をまとめられている法句経から引用させていただきました。実はこの言葉によって日本が救われたことをご存じでしょうか。

 第二次世界大戦後、日本に対して厳しい態度で臨み、日本の今後を決めるサンフランシスコ講和会議において、セイロン(現スリランカ)代表として出席され、後に大統領になられるジャヤワルダネ大臣が法句経の中から「憎悪は憎悪によって止むことはなく、愛によって止む。」とのお言葉を引用され、セイロンの賠償請求権を放棄し、恨みを捨て、慈悲の心をもって日本を国際社会の一員として受け入れましょうとスピーチくださったのです。各国の代表もこの演説に胸を打たれ日本との平和条約に調印してくれたのです。(残念ながらロシアは調印しなかった。)

 皆さんもご存じの鎌倉の大仏様がいらっしゃる高徳院には大統領に対する感謝と報恩の意を込めて「ジャヤワルデネ前スリランカ大統領顕彰碑」を建立し、そこには「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる 人は憎しみによっては 憎しみを越えられない」と彫ってあるのだそうです。この言葉は中村元さんの法句経には「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」と訳されております。

 現代に生きる日本人である私たちが、完全に自由に平和で暮らすことができているのはまさにジャヤワルダネ大統領、スリランカ国民の皆さんのお陰であります。そしてそれは釈尊の説かれた仏教のお陰だといえるのであります。

 ロシアを許すことは並大抵なことではないと思います。しかし、私たち日本は世界各国の慈悲の心で迎え入れてもらった過去を忘れずに、大統領並びに釋尊のお言葉をよくよく味わう必要があるのではないでしょうか。合掌

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