相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『ただ念仏のみぞ まことにておわします』(2022年2月 1日)

 1月3日早朝、妻の弟から電話がありました。内容は、「高蔵寺(こうぞうじ)が火事で全焼してしまった。」というものでした。妻の実家の真言宗のお寺であり、私の息子が次の代の住職となるべく養子に入ったお寺であります。町田市三輪にある室町時代から連綿と続く由緒あるお寺で、お花のお寺としても有名で大勢の方から愛されているお寺であります。そのお寺が火事になり全焼したという理解が追いつかない驚くべき内容の電話でした。

 急いで息子も連れて駆けつけました。まだその時点では多くの消防車や警察車両が出動してくださっており大勢の方が鎮火しきれていない現場の消火活動をしてくださっておりました。心配していたこの春102歳になる祖母も、火事を通報してくださった近所の方に無事に救い出されており、家族は皆無事でした。

 家族の無事を確認した後、火事現場に向かいました。消防の方に許可を頂いて入ってみますと、風向きの関係で焼け残ったであろう壁が一部残っているだけで見渡すかぎり焼けた木材の山でした。本堂も客殿も庫裏も見渡すかぎり焼けてしまい、言葉を失うとはこのことかと実感しました。

 少し落ち着きを取り戻しますと、私の隣で呆然と焼け跡を見つめている息子が目に入りました。自分が跡取りになることをたいそう喜んでくれた祖父が8年間かけて修復や増築をしてくださり、ようやく去年完成したばかりの建物が一瞬で塵と化してしまったのです。かける言葉も見つからずただ肩を抱くことしかできませんでした。

 夕方まで皆のそばにいましたが、一度本弘寺に戻ることにしまして車で帰路につきました。そのとき改めてこの火事のことを思う中で親鸞聖人のお言葉として歎異抄に遺る「火宅無常(かたくむじよう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」というお言葉の通りであるのだなとつくづく思いました。

 室町時代から多くの方々が大事にしてこられたお寺です。最近では大変なお金と時間をかけて修復を終えたばかりのお寺です。すべての修復を終えて肩の荷が下りたと息子さんへ住職を譲ったばかりのお寺です。そしてその次の代には私の息子が住職となり今まで以上に盛り立てて皆に愛されるお寺になる未来を感じていたお寺でした。「今年もよろしくお願いします。」と挨拶をしたたった2日後にまさかこのようなことになるなど誰が想像できたでしょうか。

 それから数日経ち、息子も少し落ち着きを取り戻したように見受けられたある日、息子に気持ちを尋ねました。「火事の現場を見たときは正直、これからの自分の人生を考えると真っ暗闇しか見えなかった。でも、今はとにかくこの春から御本山で2年間しっかりと学んできたいと思っています。そして戻ってきてからは自分のできることをさせていただこうと思っています。」といってくれました。

 息子は真言宗のお寺に養子に入りましたが、3歳から本堂に座りお勤めをしてきましたし、祖父や私の法話を聴いて育ってきました。真言宗のお寺の子息が集まる大学の入試面接でも「尊敬する人は親鸞聖人です。」と答えた自慢の息子です。彼の根底には浄土真宗のみ教えがしっかりと流れているようです。これからもきっと多くの苦しみや悩みが彼の身に起こってくることでありましょう。そんな時は親鸞聖人の歩まれた道を、聖人の人生を思いだして欲しいと切に願っています。

 息子の今の気持ちを聴かせていただいた後に、明治時代の名僧であられる清澤満之先生の遺された「我他力の救済を念ずるときは、我が世に処するの道開け、我他力の救済を忘るるときは、我が世に処するの道閉づ」とのお言葉を話させていただきました。どんな困難が立ちはだかろうとも、阿弥陀如来の本願をいただいた私たちはしっかりと大地に足をつき前を向いて生きていけるのです。困難を乗り越えていけるはずです。

 平家物語の冒頭に書かれているとおり、諸行無常の世の中です。盛者必衰の世の中です。だからこそ傲り高ぶるのではなく、自力の限界を知り、己の無力さをしっかりと受け止め、そんな私たちをいつでも全力で見守り続けてくださっておられる阿弥陀如来の本願をしっかりといただきたいものです。そのことだけが真の生きる道なのではないでしょうか。合掌

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