お盆のある日、お参りに訪れた方から話しかけられました。その方曰く「父が亡くなる前はとくに興味もなかったのですが、初盆を迎えるにあたり仏教に興味が湧きまして目に付いたものを読んでいます。浄土真宗のものを選んで読むのですがその中に仏説無量寿経の言葉として『和顔愛語(わげんあいご)』という言葉をよく目にします。良い言葉だな。素晴らしいなと思っておりましたが、よくよく考えてみますと、当たり前のことじゃないかと思えるようになってきました。怒った顔で暴言を吐いている人なんて周りから嫌われて孤立するでしょうし、とくに今の世の中は問題のある行為だと思うのです。」とおっしゃる。
まさにその通りです。仏教はとても難しい言葉や思想も当然ありますが、私たちが日常的に心がけなくてはならない教えもたくさんあるのです。この方がおっしゃるように、孤立しさらし者のような報道をされ、今世間を騒がせているおねだり知事などと呼ばれている方もいらっしゃいますが、まさに怒り顔で暴言を吐き毒を吐き職員を怯えさせていたのかもしれませんね。最終的にどう片が付くのか分かりませんし、私には真実はどうなのか分かりませんのでどうこう言いませんが、和顔愛語を心がけておられたとは到底考えられません。
確かに和やかな笑顔を浮かべ、愛のある優しい言葉で人と接し、(和顔愛語(わげんあいご))相手の気持ちを察して自分の出来ることをして差し上げる(先意承問(せんいじようもん))
このようなことを日々実践できていたなら素晴らしい方ですし、皆から好かれるでしょう。
こんな話があります。中国唐の時代の詩人白居易(はくきよい)が禅僧の道林禅師(どうりんぜんじ)に仏教の神髄とはなんでしょうかと質問したところ
「諸悪莫作(しよあくまくさ) 衆善奉行(しゆぜんぶぎよう) 自浄其意(じじようごい) 是諸仏教(ぜしよぶつきよう)」
と答えられたのだそうです。これを七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)といいます。
七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)
諸悪莫作:悪いことをしてはいけません。
衆善奉行:良いことをしなさい。
自浄其意:心を浄くしなさい。
是諸仏教:これが仏教(諸仏の教え)です。
という意味です。それを聞いた白居易は「なんだそんなこと3才の子供でも知っていますよ。」といいます。それに対して道林禅師は「3才の子供でも知っていますが80才の老人でも実践できない。」とお答えになられたのです。
まさにその通りなのです。和顔愛語 先意承問も3才の子供でも知ってはいるが80才の老人でも実践は難しいのではないでしょうか。
七仏通戒偈の説く悪いことはせず、良い行いを心がけ、心を浄く保つ。この教えも皆さんは実践できますか?私は毎朝目が覚めると、和顔愛語を心がけると自分自身に言い聞かせます。日々相手の気持ちをくんで行動することも考えておりますし、心の真ん中には良い行いを心がけ、悪いことなどはしないということがどーんと陣取っています。なのに、気づけば怒り顔で暴言を吐き、良い行いもせずに心の底ではけっして他人には知られたくないようなことを考えていたりします。まさにそのお言葉は簡単なものでも実践するとなるととても難しいことばかりでした。
こんな私たちを親鸞聖人は悪人とおっしゃいます。悪人とはけっして犯罪者のことではないのです。そしてそんな自分の行いでは到底仏になることなど出来ず地獄におちるしかない私たちを哀れんで、そんなあなただからこそ悪人のままで、そのままですくい取らずにはおられないとお約束してくださっておられるのが阿弥陀様です。阿弥陀様の御本願をよくよく味わっていきたいものです。