相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『塵を払い 垢を除かん』(2024年6月 1日)

 先日鬼滅の刃の新シーズンが始まりました。以前はそこら中で「全集中○○の呼吸!」と子供たちは大騒ぎでしたがここ最近は聴くことがなくなりました。人気がないとは思えませんので、他に流行っているものがあるのかもしれませんね。

 ところでこのアニメのキャラクターで誰が好きですか?という質問を第1期のときに東大の学生さんたちに質問をしているニュースを観ました。一番人気は雷の呼吸を使う我妻善逸という少年でした。この少年はとにかく臆病で泣き虫なキャラクターです。雷の技は6種類あるのですが少年は最初の技しか覚えることはできませんでした。お師匠さんはそんな少年に「善逸極めろ。泣いてもいい逃げてもいい。ただ諦めるな」といいます。そして「一つのことしかできないならそれを極め抜け。」ともいわれます。そんな少年を先輩剣士は馬鹿にします。しかしお師匠さんは「善逸、お前は儂の誇りじゃ。」と少年のすべてを肯定し誇りだといってくださったのです。どれだけ嬉しいことであったでしょう。
東大の学生さんたちは、とても頭の良い方ばかりでしょう。しかし、なにかに特化して優秀という方が多いのだそうです。それがコンプレックスになっていると学生さんたちはいっておられました。そんな自分が我妻少年と重なり、それでもなんだかんだと頑張っている少年の姿に共感が持てるのでしょう。

 そんな話しを思い出していますと、お釈迦様のお弟子にも似たような方がおられるなと思い出しました。仏説阿弥陀経にも「周利槃陀伽」とお名前が出てこられる方で一般的には「周利槃特(しゆりはんどく)」と呼ばれております。

 この方には先にお釈迦様のお弟子になっておられたお兄さんがおられます。お兄さんは頭の良い方だったそうで、お釈迦様の説かれる教えをどんどん吸収されていかれます。そんななか、弟もお釈迦様のお弟子にしていただき尊い教えを学ばせたいと願うようになりました。そこで弟に話をしてみますと、お兄さんがそこまでいう尊い教えなら僕も学びたいとお釈迦様のお弟子になることとなりました。

 ところが周利槃特は頭が良くありませんでした。どれくらい悪いかというと、なんと自分の名前すら覚えられないというのです。それで名札をいつも首から下げて、名前を聞かれるとその名札を指さしたそうです。
 弟子になって毎日のようにお釈迦様の説法を聴かせていただくのですが、まったく覚えることはできません。そんな弟にお兄さんも一生懸命に教えるのですがやはり覚えられません。そんな彼を周りの弟子達はからかい始めます。とうとうお兄さんもこのままここにいては弟が逆に不憫だと思い、教団から去ることを勧めました。

 周利槃特はとても悲しい気持ちになり、門のそばに座り込んでいました。それを見ていたお釈迦様は彼の元に近寄り、なにが悲しいのか尋ねられます。「私は頭が良くないのでお釈迦様の尊い教えをいくら聞いてもなにも覚えられず、とうとう兄にも出て行った方が良いといわれてしまったのです。それがどうにも情けなく悲しいのです。」と答えました。するとお釈迦様は「あなたには好きなことがなにかあるか?」と尋ねられます。「私は掃除が好きです。」と答えますとお釈迦様はそばにあったほうきを周利槃特に手渡し「塵を払い 垢を除かん」といいながら毎日掃除に励んでみなさいとおっしゃいました。

 来る日も来る日も周利槃特は「塵を払い 垢を除かん」といいながら掃除に励みます。そんな日々が続いたある日、掃除を終えたばかりのところを近所の子供達が遊んで汚してしまいました。それを見た周利槃特は頭に血が上り「こら!どうして掃除をしたばかりのところを汚すんだ!」と叫んでしまいました。そのときハッとしました。お釈迦様のおっしゃった塵や垢は外にあるものばかりではなかった。僕の心の中に怒りや他人から認められたい褒められたいという塵や垢がたくさんあったんだ。お釈迦様はこのことを気がつかせたかったのだ。」と気がついたのです。この時から自分の心の汚れを見つめながら修行に励み、阿羅漢という悟りの境地にいたり、十六羅漢の一人にまで数えられる人になられました。

 周利槃特の死後、彼を埋葬した地面から見たことのない草が生えてきました。名前を背負っていた周利槃特のお墓から生えてきたということで、茗荷と名付けられました。茗荷を食べ過ぎると馬鹿になるという話はここに由来しています。

 さて、私たちの心もまったく同じです。怒りの心は抑えても抑えても湧き上がります。人に認められたく褒められたいものです。そして止めどもない欲に振り回されます。いくら塵を払っても垢を除いても後から後から汚れます。だから掃除が必要なのでしょう。1回やったらもう2度としないでよいという掃除はありません。なぜか知らないうちに汚れています。

 我妻善逸少年や周利槃特阿羅漢のようにひとつのことを極めることもできない私たちではないでしょうか?そんな私たちだからこそ、その私たちを善逸少年のお師匠様のようにすべてを肯定し受け入れ、そんなあなただからこそ救わずにいられないと誓ってくださる阿弥陀様のお念仏の一道だけが私たちが唯一継続していけることなのかもしれません。合掌

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