相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『宗教なき教育は 知恵ある鬼を生む』(2023年6月 1日)

 先月の法話で4月から交代された呼吸器内科の先生にかけられたお言葉に救われた気持ちになった。と書きましたが、それからまもなく毎年健康診断を受診しているクリニックの看護師さんから電話をもらいました。内容は在宅酸素療法を受け始めたのなら受診できない検査がいくつか出てくる。ということや、診察中に苦しくなるかもしれないといったことでした。あちらとしても当然私のことを思っての事だと今になれば理解できますが、その会話の最中にはとても傷つき、そんなことを言われるのならばもう検査自体行くのをやめたいとも思いました。

 釈尊のお言葉「己が身にひきくらべ」を引用させていただき、毎月の法話の場で相手の身になって考え、思いやることが大事だと言ってまいりましたが、相手の身になって考え、話をさせていただいているつもりが、むしろ相手を傷つけてしまうこともあるのだと我が身をもって痛感させられました。

 さて、最近若者による凶悪な犯罪のニュースを見かけることが大変多くなってきているように思います。凶悪犯罪や若者による犯罪が今になって起こるようになったということではありませんが、スマートフォンの普及により、アプリを使ったり、インターネットを使ったりしていとも簡単に高額のアルバイトが見つかるのだそうです。これに若者が遊ぶお金ほしさに後先考えずに飛びついて、なんとも恐ろしい凶悪な犯罪を起こしているのだと若者と犯罪に詳しい方が解説されておられました。

 最近は恋人を見つけたり、結婚相手を見つけるのもスマートフォンを利用したマッチングアプリなるもので実際に理想の相手と巡り会い恋愛や結婚に発展することが大変多いそうで、結婚したカップルの馴れ初めがマッチングアプリだったという割合がトップだそうです。このような有用な使い方があるのは大変結構なことだと思うのですが、犯罪を犯し高額の金銭を得るための仲間をマッチングされたのでは平和に暮らしている者にとっては恐怖でしかありません。
 私は保護司というお役目を委嘱されており、実際特殊詐欺と呼ばれるものに加担してしまった若者の保護観察処分を担当したことがあるのですが、彼はとても真面目な本当にどこにでもいるような好青年でした。しかし、ある事情でお金が必要になり1日10万円の報酬という仕事に飛びついてしまったのです。犯行当日出された指令によって、これは詐欺だとようやく気づき、良心の呵責に耐えられなくなりその場から逃げ、雇い主に断りの電話を入れたところ「おまえの自宅も家族も学校も知っている。逃げることは許されない。」と脅され結局犯行を犯してしまいました。まさにみんな軽い気持ちで応募し、犯罪だと理解できて逃げようと思ってもそのときには逃げられる状況ではなくなっているのです。

 若者による強盗や詐欺、そこから派生する殺人事件。そんな事件が後を絶ちませんが、私がいつも思うのはその犯罪を犯す実行役の使い捨てにされる若者にしろ、その裏で若者をいいように使って犯罪を犯させ金品を搾取するものたちにも、犯罪に巻き込まれた被害者のようなご両親や祖父母がいると思うのです。これも先ほどの「己が身にひきくらべて」通りのことなのですが、もしも自分の親や祖父母が違う犯行グループの標的になったとしたらどういう気持ちになるだろうかと想像すらできないのでしょうか?家に侵入され、縄などで身動きとれないようにされたり、殴る蹴るの暴行を加えられ、果てには命まで奪われた方々のことを思うとなんともいたたまれません。

 今月の掲示板に「宗教なき教育は 知恵ある鬼を生む」と書かせていただきました。この言葉の元は諸説あるようなのですが、私は玉川大学の旧工学部校舎の玄関前に彫られた「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」との言葉を私なりに少し変えて書かせていただいたものです。「科学技術の進歩は、明と暗の両面を持つ。平和利用されれば人間社会を豊かにし、戦争に利用されれば多くの人間の命を奪う。この言葉には、人間至上主義的・科学万能主義的な考え方や教育が、人の姿をした悪魔をつくっているのではないか。科学技術を学ぶ者も、人間を超越した存在を知り、神を畏怖する心を持った人でなくてはいけない」と、玉川大学の創始者小原國芳先生の願いだと玉川大学のホームページで解説されています。
相手を思いやり、相手の身になって考え行動する。このことは先祖から伝わり、教えられた宗教心が元になるのだと思います。そしてそのことを学校においても教え育てていくことが必要なのだと思います。

 今月は私たちに伝わる阿弥陀如来様の本願を永代に渡って教え聴かせていただくことの大切さを再確認する法要として永代経法要を勤めます。皆様のご参詣心よりお待ち申し上げます。

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