相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『懸情流水 受恩刻石』(2022年12月 1日)

 今年最後の法要、報恩講も大勢のお詣りを賜り無事に勤修できることがかないました。ありがとうございました。

 本弘寺の報恩講が終わった翌る日から、御本山東本願寺の報恩講への出仕に備えて浅草にホテルを用意していただきまして、1週間行って参りました。

 御本山のお手伝いをさせていただき始めた30代の頃は1週間行ってもなんともありませんでしたが、40代半ばあたりから身体が持たなくなりはじめ、5日に減り、3日に減りと徐々に日数が減っていきました。しかし今年は今の自分の体調を考えますと、最後になってもおかしくはないと思いますし、息子も御本山への奉職させていただいておりますし、私も身に余る大変なお役目をいただきましたので、石にかじりついてでも1週間お勤めさせていただきたいと思い、妻や両親の許しを得て行って参りました。

 毎日三座のお勤めを御本山の広い本堂でお勤めをさせていただいておりますとこの20年ほどの思い出があれこれとよみがえりました。右も左もわからずにおどおどしていた初めの頃、本山記念館に宿泊しながら先輩後輩と過ごさせていただいた日々、たくさん学び、たくさん影響を受けさせていただいたように思います。そして御法主台下の十弟子を勤めさせていただいたことは今でも有り難く名誉なことでありました。今は僧侶もみな椅子でのお勤めになりましたが3年前までは正座でしたから2時間に及ぶお勤めは尋常じゃないほど足がしびれ大変だったことも今となって良い思い出であります。

 そんな御本山での思い出ですが、嬉しいことや楽しいことばかりではありませんでした。とくに考えさせられ、腹立たしい思いをしたことは「本山は何もしてくれない。」と言う方々の声でした。そういう方々の声を耳にする度に「本山が何をしてくれたかは問題ではない。自分が本山に対して何ができるかが問題なんだ。」と言ってきました。
 その思いは今でも変わりはないのですが、今回いよいよ最後になるかもしれないと思いながらお勤めさせていただいておりますと、「ああ。自分は結局のところ本山に対して恩に着せることばかり考えていたな。本山は何もしてくれないと不満をこぼす人よりもよほどたちが悪いな」と思うのでした。お手伝いをさせていただき始めた当初は掃除でも何でもやらせていただきます。と思っていたのです。そんな気持ちはだんだんなくなってしまい、どこか偉そうに振る舞っていたいました。なにかお役を当てられると嬉しくてたまらなかったのに、それもだんだんとお役が当たらないと不満をこぼすようになっていました。

 同じようなことが皆さんにもありませんか?会社のためにと思って働いていたはずがいつの間にやら働いてやっていると錯覚をしていませんか?
親のため家族のためにと日々励み、その人たちの笑顔に癒やされていたはずなのに、自分が一生懸命皆のことを考えているからみんな苦労知らずに生きていられるのだ。自分ばかりが苦労をしていると思ってしまうことはありませんか?私は知らず知らずのうちに生活のすべてが恩着せがましい生き方をしていたのだと気づかされました。

 今月の言葉「懸情流水(けんじょうりゅうすい) 受恩刻石(じゅおんこくせき)」とは「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。」という釈尊のお言葉です。報恩講御満座の結讃「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」どちらも似た意味であります。しかし今回しみじみと感じさせていただきましたのは、私においては情けをかけたなんてことは一つもなかったなということです。情けや恩をかけたように思っていたことはどれひとつ取ってみても、周りに赦され、認められていたに過ぎないのだと思うのです。この度の御本山報恩講ひとつを取ってみましても、御本山からお役目を頂戴し、妻や親に苦労をかけながらも自坊を離れ、御門徒さんの法事の依頼は待っていただけたことで成り立っておりました。私の手柄などひとつとしてなかったのです。

 そう思いますと釈尊の金言ではありますから間違いなどあるはずもないのですが、私においては生まれてこのかた、水に流して忘れるような恩情などなにもなく、あるのはただただ皆さんから受けた御恩だけだと思うのです。親鸞聖人のお遺し下された恩徳讃は誠にその通りでございましたと涙がこぼれます。

 私たち凡夫は、自分こそ苦労をしているという思考に立って物事を考えてしまうようです。しかしそれは本当にそうなのでしょうか?周りの方々に支えられ赦され認められ今日を歩んでいるのではないでしょうか。合掌

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