私が僧侶になって30年が過ぎました。それよりもはるか以前から、毎月月忌参りに伺っていたお宅のおばあちゃんが急に亡くなってしまわれました。
身体に不調を感じられ救急車をご自分で呼ばれ、ご家族にも連絡をしてから救急車に乗られたのだそうです。ご自分ではすぐに帰ってこれるものと思っておられたようで、帰ってきたときに熱いのは困るとクーラーも入れたまま、万が一の時のために用意なさっておられた入院セットも家に置いたままだったのです。それなのに病院に着いてからあっという間に急変なさって、ご家族皆さんが病院に向かうものの間に合わず、おばあちゃんはお浄土へ還って行かれました。
その翌る日、自分の部屋でテレビを観ていましたら、酸素吸入器を使い始めてからというもの、呼吸が苦しいのでほとんど2階に上がってくることのなくなっていた母が、私の部屋の前の納戸でハァハァゼェゼェと苦しそうな呼吸をしていることに気がつき、「大丈夫?なにをしているの?」と声を掛けました。すると母の答えは「死に装束を用意しにきたの。」でした。
2回前の入院時にお医者様から「覚悟をしてください。」と言われていましたし、それよりも母が間質性肺炎だと聞かされた10年ほど前から覚悟はしていました。元気なころが思い出せないくらい小さくなってしまった母です。朝もつらそうで起きて来られないことが増えてきている母です。とはいえ今まで通り、いつもニコニコと笑顔で、みんなに感謝の言葉を掛けてくれる母なのです。万が一の時に連絡をしなくてはならない人の連絡先をまとめておいてほしいとも伝えてありますし、ご葬儀になったときの御導師もお願いはしてあります。それに先のおばあちゃんのように私たちは誰でも、いつどうなるかまったく分からないのです。ですが・・・「死に装束を用意しにきたの。」という言葉は恐ろしいほど強烈に私をうろたえさせました。
その夜、実は私も母と同じ病を持っておりますので、最近、以前にも増して呼吸が苦しくなってきている自分の身体を考えますと、やはりそんなに長くは持たないという答えしか見つからないのです。しかし、自分のことは覚悟ができているつもりです。今月の掲示板に頂いた親鸞聖人のお言葉
「なごりおしくおもえども 娑婆の縁つきて
ちからなくしておわるときに かの土へはまいるべきなり」
このお言葉は今から14年前にくも膜下出血で死にかけたときに、つくづくこのことであるのだなと思いましたし、ただすべてを阿弥陀様にお任せしてお浄土にすくっていただけるのだと思いますと、死ぬことはまったく怖いと思いませんでした。残念ではありましたが、ことここに及んでは有難いことだと思ったのです。
それは今も同じだと思っています。しかし、ここに雑念が交ざってくるのです。今年御本山での修行をはじめたばかりの息子が、一人前になって戻ってくるまではなんとか生きていたい。私が死んだら妻も困るだろうな・・・そんなことを考えてしまうと、先ほどの聖人のお言葉を頷けなくなってしまうのです。
しかし聖人はこのお言葉の前にこうもお示しくださっておられるのです。
「よろこぶべきこころをおさえて よろこばせざるは 煩悩の所為なり」
まさにこのことなのであります。このことを阿弥陀様はよくよくご存じだからこそ私たちをすくうとの本願を立ててくだされたのだとおっしゃるのです。有難いことであります。
そんな親鸞聖人が亡くなっていかれるときのお姿が御傳鈔に記されています。
「聖人(しようにん)弘長二歳(こうちようにさい) 壬戌(みずのえいぬ) 仲冬下旬(ちゆうとうげじゆん)の候より、いささか不例(ふれい)の気まします。
自爾以来(それよりこのかた)、口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しこうして同第八日午時(うまのとき)、頭北面西右脇に臥し給いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ」
あれこれ雑念が生まれてくる私たちです。老病死の苦しみから逃れることはできないと知りながら逃れよう逃れようともがき続ける私たちです。あれこれ名残惜しく思ってしまう私たちです。しかし、阿弥陀如来の御心を聴かせていただき味わっていきますと、阿弥陀如来の本願につつまれていることをしみじみと実感し、感謝の心が沸き上がり、あるがままの自分を受け入れ、今この一瞬を悦べる身になるのであります。お彼岸が参ります。かの土とは「彼の土」のことです。彼岸の浄土のことです。どうぞ彼岸法要にお詣りして仏法聴聞してください。合掌