相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『合掌のある生活は 喜びと幸せのある人生です」前住職の法話(2022年1月 1日)

 明けましておめでとうございます。
私の子どものころは正月を迎えますと、朝風呂に入り、母が用意してくれた新調の下着に着替え、正月用の着物を着て静まりかえった街を歩くことが楽しみでした。各家々には門松が飾られ、街には日本髪を結った若い女性がたくさん目に付きました。家では家族で百人一首や凧揚げ、羽根つきを楽しんだものです。夜には炬燵に入りダイアモンドゲームに夢中になったことなど懐かしい懐かしい思い出です。こうした正月風景は今では見られませんね。

 世間では会社の上司宅へ新年のご挨拶に伺うのは慣例で、上司も部下を厚くもてなしをされたのですが、いつのころからか生活が豊かになってきたからでしょうか?そうしたことが煩わしいといって海外とか温泉地へ、暮れの内から出かける人が多くなりそうした慣例もなくなってきたようです。

 今、日本の正月と言えば年末に、にわかクリスチャンになりすました人も、年が明けると今度は仏教徒や神道に早変わりして有名な神社仏閣に初詣でに出かけておられるようです。それも自分だけの欲望をかなえてもらおうと神、仏に祈ることが目的でしょう。こうしたことが日本人の文化になってしまったようです。これで良いのでしょうか?

 暮れに原稿を整理しておりましたら古い原稿が出てまいりました。そこには親日家として知られたアメリカのハーバード大学ボーゲル教授が、「昭和40年頃までの日本人は礼節を重んじ、恥を知る民族であった。今日の日本にはそうした文化がなくなってきた。このまま行けば日本は荒廃する。」と指摘をされていました。まさに教受の予測通りです。日本は治安が良いので何処へ行っても安心して街中を歩けたものですが、今では電車の中でも、街中でも、病院の中でも、家にいてさえも安心して心休めるところがないのではないですか。

 法を司る法務大臣が逮捕される有様ですから政界も財界も話しにならないほど荒廃しています。大学のスポーツクラブでは勝つためには手段を選ばず、野蛮で卑劣な危険行為をしてでも勝つことにこだわり、大学理事会も学生が苦しい中からやり繰りして修めた尊い学費を私利私欲のために使うなど、教育界もひどく荒廃しているように見受けられます。

 私はこうした荒廃した日本になってしまった原因はふたつあると考えます。
ひとつには家族制度の崩壊です。核家族になったことです。先日ある小学校の児童が街探検の一環で当寺に父兄に引率されてやってきました。私はそこで児童に質問をしました。「家にお仏壇がある人は手を挙げてください。」誰もいませんでした。それどころかお仏壇がなんなのかさえ知らないのです。核家族になったことでお仏壇のある家がなくなったのです。残念ながらそこには手を合わす生活がないのです。子どもにとっても親にとっても不幸なことだと思います。

 ふたつには社会の構造が変わってしまったことです。交通機関が充実し、各家庭にも乗用車が普及し、これによって行動範囲が格段に広がり、かなり遠方まで仕事に出かけることが可能となり、それにともない朝晩家族が揃って食卓に着くこともなくなりました。これでは家族で話し合うことも少なくなり、親子、夫婦の心も通じなくなるのではないでしょうか。

 このような家族制度、社会構造では礼節を重んじ、恥を知る日本人の文化はなくなり、日本が荒廃するのは当然の理ではないでしょうか。どうしたら良いのでしょうか。元の生活に戻ることができるはずもありませんし、かといって今のままで良いはずもありません。

 このような今こそ、コンビニエンスストアーよりも多い全国約7万5千か寺の寺院が、その寺その寺でできる人間性を深めるための集いを開くことが最も重要ではないかと私は思うのです。当寺の50年以上続けている週に一度、朝8時からの日曜礼拝も皆様の心の洗濯になれば良いと思いこれからも励んで参る所存です。皆様どうか日曜礼拝にもご参加ください。貴方様のご参加を心よりお待ち申し上げます。合掌

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