相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『和を以て貴しと成す』(2021年12月 1日)

 去る11月21日の報恩講には久しぶりに本堂が一杯になる大勢の方のお詣りを賜りまして誠に有り難うございました。
新型コロナウイルス発生以降、お詣りの方が減っておりましたのでとても嬉しく思いました。やはり皆さんと一緒にお勤めさせていただけることはとても幸せなことだと再認識いたしました。有り難うございました。

 翌る22日から23日から御本山東本願寺で厳修される御正忌報恩講に出仕させていただくために浅草に参りました。本年は全15座中11座にお勤めをさせていただけました。去年はまったく出仕できませんでしたから御本山で宗祖親鸞聖人御影にご挨拶できたのはとても有難いことでございました。

 さて、今年の本山御正忌報恩講では聖徳太子1400回御遠忌も厳修されました。50年に一度のお勤めに出会わせて頂き、出仕もさせて頂けました。
なぜ浄土真宗のお寺で聖徳太子のお勤めをするのかと疑問に思われる方もおありでしょう。宗祖親鸞聖人はとても聖徳太子を崇められておられました。比叡山で20年に及ぶ難行苦行を通して、自分が救われる教えは比叡のお山にないと嘆かれた聖人は、聖徳太子の祀られる京都六角堂に誰もが救われる道を求めて100日間の参籠をされました。そして95日目の未明、吉水にあなたの悩みをすべて解決してくれる法然上人という人がおられるのでそこを尋ねなさいとの夢告を賜るのです。法然上人に教えを賜り浄土宗の門徒となり、越後流罪などを経て浄土真宗を開かれた後も、聖徳太子を奉賛(ほうさん)される御和讃(ごわさん)をたくさん遺されておられますことから親鸞聖人が聖徳太子をとても崇めておいでだったことが読み取れます。

 そんな聖徳太子のご法事をお勤めさせていただいておりますと、聖徳太子の作られた十七条憲法の最初の文「和を以て貴しと成す」が思い起こされました。
今の和国には争いばかりが起きていてどこにも「和」がないと嘆かれておられるように思いました。和らぎがないのはなぜでしょうか。
それには第二条が答えてくださっておられます。第二条はその「和」というものを成り立たせるためになにをすれば良いのかとてもわかりやすくお示しくださいます。「篤く三宝を敬いなさい。三宝とは仏法僧のことですよ。」とおっしゃるのです。「仏」とは阿弥陀如来をはじめとするたくさんの仏様のことです。阿弥陀様の本願に救われて極楽浄土で仏様となられたご先祖の方もそこには含まれます。次の「法」とは仏様の教えのことです。阿弥陀様なら御本願がそれです。すべて私に任せなさい。あなたを捨てることなく必ず仏として救うぞとのお約束です。そして仏となられたご先祖様の願いや思いもそこには含まれてきます。
最後の「僧」はその仏様と仏様の教えをみんなで喜び合える場のことです。お仏壇の前であったり、墓前であったり、もっと言えば食事を囲んだ家族団らんの場などでも仏様とその教えをみんなで喜び合い話し合える場が大事だとおっしゃっておられるのです。仏様をご先祖様を粗末にし、その教えや願いに耳も傾けず、家族団らんの場もなければそこには「和」など成り立つわけがないのです。

 聖徳太子は日々、四摂法(ししようぼう)のお心を大事にされたと伝わります。四摂法とは「布施(ふせ)」「愛語(あいご)」「利行(りぎよう)」「同時(どうじ)」の4つの行です。
布施とは見返りを求めず相手のためにできることをさせて頂くということです。
愛語は愛の籠もった優しい言葉で語りかけることです。
利行とは利他(りた)のことで自分の利益を追求するのではなく相手のためになることを心がけることです。
最後の同時とは相手の身になって物事を考え行動するということです。

 みなさんは篤く三宝を敬っておいででしょうか?四摂法のお心を持って生活なさっておいででしょうか?新型コロナウイルスで人と密にならずに間を開ける生活が求められ、当たり前のことになってきました。しかし身体だけではなく心までが大切な方との距離を開けてはいないでしょうか?

 来年は聖徳太子御生誕1450年目にあたります。日本に仏教を取り入れられ、倭国と表記されていた日本を和国と示され、その国の礎に三宝や四摂法を勧められた聖徳太子のみ教えを和かさに欠ける国にしてしまった私たちが一から考え直す良い機会ではないでしょうか。合掌

最近の記事

月別アーカイブ