相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『一人居て喜ばは二人と思うべし 二人居て喜ばは三人と思うべし その一人は親鸞なり』(2021年11月 1日)

 あっという間に11月になりました。年々猛烈な速度で時間が過ぎているように感じます。11月は浄土真宗宗祖であられる親鸞聖人の祥月命日がございます。11月28日に御往生された聖人の御命日に合わせて本山、各末寺それぞれ、聖人が90年の人生をかけて苦労に苦労を重ねて御教化してくだされた御遺徳を偲び報恩講を厳修いたします。本弘寺では毎年11月21日に厳修させていただいております。

 皆様にお出ししている報恩講のお知らせを印刷していますと、毎回今月の掲示板に書かせていただいた「一人居て喜ばは二人と思うべし 二人居て喜ばは三人と思うべし その一人は親鸞なり」というお言葉を思い出すのです。このお言葉は御臨末の御書(ごりんまつのごしよ)と呼ばれる聖人の御遺言のお言葉です。

 一般的に宗教とは苦しいとき、悲しいとき、寂しいときの心の拠り所だと思われているように感じますが、聖人は「喜ばは」とおっしゃっておられるのです。喜んでいるとき、嬉しいとき、私は常にあなたのそばに居ますよとお声をかけてくださっておられるのです。

 それでは喜びとはなんでしょうか?皆さんも喜んだことはおありでしょう。嬉しいこともおありでしょう。目標の学校や会社に入れた。長年悩んでいた病気を完治できた。出世できた。給料が増えた。結婚することができた。家族が増えた。確かに喜ばしいことでありますし、嬉しいことでもあります。友人知人からそのような報告を受ければ私も大変嬉しく思います。しかしこれらの事柄は常に変化をしていくのです。諸行無常なのであります。

 聖人のおっしゃる喜びとは「往生の一大事」のことであります。本願寺8代目の蓮如上人は「後生の一大事」というお言葉をなんども御文の中でおっしゃいます。後生の一大事をはっきりさせなさいというお勧めです。喜びも嬉しいこともある人生ではありますが、そのようなことは長続きすることはなくそれがかえって苦しみになることもあるでしょう。お釈迦樣は「人生は苦である」とおっしゃいます。四苦八苦から逃れることは誰もできないのです。そして人はその人生において行ってきた業によって後生は変わっていきます。地獄におちる人もいるでしょう。餓鬼道や畜生道に行く人もいるでしょう。それでいいのでしょうか?
聖人は往生の一大事とおっしゃいました。往生とは阿弥陀様の本願によって私たちが極楽浄土に仏として生まれさせていただくことであります。

 楽しいこともある。喜ばしいこともある。嬉しいこともある。でもそれ以上に苦しみがある。良いこともするが悪いことばかりしてしまう。そんな人生を歩んでいるこの私が、阿弥陀様に救っていただけるのだと疑いなく信じられた身となる。このことを往生の一大事というのです。この一大事をはっきりできた姿を
「不退(ふたい)の位」「正定聚(しょうじょうじゅ)の位」「等正覚(とうしょうがく)の位」など様々な言い方をしますが、阿弥陀如来が私をすくってくださるのだということがハッキリといただけたことにで、困難な世の中に前を向いて進んでいける力をいただけるのです。これ以上に嬉しいことがあるでしょうか。これ以上に喜ばしいことがあるでしょうか。そのことを聖人は御遺言として遺してくださったのであります。

 聖人は正像末和讃(しょうじょうまつわさん)の中に
「他力の信心うるひとを うやまいおおきによろこべば
 すなわちわが親友とぞ 教主世尊はほめたまう」
とお示しくださいました。
阿弥陀様の本願、他力の誓いを心から信じ、阿弥陀様を敬い感謝の念仏を称えながら日々明るく前向きに人生を歩む人は、みんな私の親友だとお釈迦樣は喜び褒めてくださいます。というのです。

 新型コロナウイルスの収束もうっすらと見えてきたように感じますが、世の中は様々な困難を抱えています。その世に住む私たちも日々様々なことで悩んだり苦しんだりします。そんなときひとりぼっちではたまりません。苦しいときでも悲しいときでも、私を見守ってくださる阿弥陀様がいらっしゃる。お釈迦樣がいらっしゃる。親鸞様がいらっしゃる。私はひとりぼっちではない。そのことはとても喜ばしいことではないでしょうか。

 阿弥陀様の御浄土に往生されていかれた親鸞聖人や皆様の大事なご先祖の方々は休むことなく見守ってくださっておられます。本弘寺で皆さんと一緒に喜びと感謝のお念仏をいたしましょう。皆様のご参詣心よりお願い申し上げます。

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