相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする』(2021年10月 1日)

 ありがたいことに双子の息子たちも大学4年生となりました。今は一人前なことを言ったりするようになりましたが、幼少の頃はしばしば自信なさげな言動が目に入り、「もっと自信を持ちなさい」と励ましたり、叱ったりしたものです。そんな彼らもただいま卒業論文を一生懸命書いているようで、なんとも頼もしいかぎりです。そんな中、卒業論文について尋ねてみましたら、久しぶりに自信なさげに「難しい。ちゃんと書けるかわからない。」と言っていました。そこで分からないことは先生にお尋ねしなさい。不安なときも先生の指導を仰ぎなさい。友人たちに相談したり意見を求めなさい。自分勝手な考えを書くのが論文では無いのでしっかりと見極めなさい。などと偉そうに話してしまいました。

 この話しを次男としながら車を運転していたときのことです。2台前を走行していたトラックが信号のある交差点を左折しようとしたのですが、左折先が狭く速やかな左折ができず、何度か切り返しをして曲がっていきました。ようやく交差点内は空いたのですが、私たちの信号は赤になってしまいました。そのとき交差点に少し進入していた前の車が停止線まで戻ろうとバックをしてきました。「あ!後ろ見てない!ぶつかる!」と思いクラクションを鳴らし続けました。
しかし、相手は気付かないのかどんどんバックをしてきます。「あ~駄目だ。ぶつけられるな・・・」思った通りぶつけられました。

 すぐそばに交番があり、そこからお巡りさんがふたり駆けつけてくださいました。お巡りさんを待っている間、ぶつけてきた相手は一切謝罪をしてきません。ぶつけたのは仕方が無いとしてもひとこと身体のことを気にかけるとか、謝罪の言葉があっても良いのではないか?とも思いましたが黙って待っていました。

 お巡りさんが来てくださり、私が事情を説明しました。すると相手の男性が「僕には僕の言い分があるので個別に話しをさせてください。」とお巡りさんに申し出ました。そこで私は車の移動を命じられましたので移動の為そこを離れました。移動先でお巡りさんに、「相手は自分がバックをしたあとにあなたが突っ込んできたと言っています。ただ、たぶんあちらがバックをして一方的にぶつかってきたのでしょう。」と言ってくださいました。交番に入ってからも相手は個別に話すことを望み、交番の外で延々と自己主張をしていました。私は次の予定がありましたし、面倒でもありましたのでドライブレコーダーの映像をみんなで観て欲しいと頼みましたが、交番の奥から出てきた年配のお巡りさんに断られました。かなり時間を要しましたが事故証明を書いてもらいお互いの個人情報を交換し車に戻るときに「ドライブレコーダーの内容を観ますか?」と相手に尋ねますと是非観たいということでした。その場には最初に駆けつけてくださった若いお巡りさんふたりも同席してくださり、一緒に観ました。私も観ていなかったので私の主張が本当に正しいのか分かりません。再生してみましたらやはり私は完全に止まっており、相手が一方的にぶつかってきている映像が残っておりました。その映像を観た途端、相手はもの凄い勢いで私の方を向き「僕が一方的にぶつかっていました。申し訳ありませんでした。お身体は大丈夫でしょうか?」と謝罪してくださいました。見た目では分からなかったのですが、まだ23才の若者でした。初めての事故でかなり動揺をしておられたのでしょう。それと同時に自分の運転に自信のようなものもあったのかもしれません。

 このようなことは誰にでも起こると思うのです。私たちはどこか自分が正しいと思い込み自分に自信を持ちすぎているところがあるようです。今回の相手を責めているのではありません。彼も嘘をつこうとしたのではなく自分の経験してきたことや普段の行動から自分の不注意で起きたことではないと信じたのでしょう。

 今月の言葉「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」は安田理深という浄土真宗の先生が遺されたお言葉です。先生のおっしゃる本当のこととは「仏様の智慧」のことであります。私たちは仏の智慧。真実、真理を通して物事を考えずして自分の経験や自分の学んできたことからうまれてくる思考でもって本当のことだと決めつけていることが多いのではないでしょうか。そしてそれを相手にも押しつけていることも多いことでしょう。嘘もつき続ければ本当になるという言葉もあります。最初は自分でも嘘だと分かっていても言い続けているうちに自分さえもそれが真実だと思い込んでしまうことがあるのだそうです。そのようなあやふやなものを私たちは真実だと思い込んでしまいがちです。自分の思い込みだったと気がつくことは本当に難しいことだと思います。

 親鸞聖人が日本のお釈迦樣と仰がれた聖徳太子も「世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」と申されました。私たちの思い込みは嘘偽り間違ったことが多い。ただ仏様の教えだけが真実であると言うことです。本当の教え、本当のことに照らされて、本当ではない自分に気がつかせていただくことが大切なのだと思います。そこに相手を思いやる、争いのない、平和な世の中が開けてくるのでありましょう。合掌

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