相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『牛は隣の牛を羨まない』(2021年9月 1日)

 先月22日、私がまだ20代の頃に御本山で御法話を聴聞させていただいて以来、勝手に師匠と心に決めて教えをいただいていた先生の訃報が届きました。

 初めて先生のお話しを聴かせていただいたとき、この方について行かなくては自分が僧侶になった意味が分からない。もっといえばどう生きていけば良いのか分からないままに人生を終えてしまうのではないか、鞄持ちをさせていただいてでも今すぐついて行きはっきりと己の進むべき道を見つけなければと思ったのです。しかしポケットに数百円しかなく、ついて行くにしてもいきなりお金を出してもらうことになるのはまずすぎると断念しました。

 あれから四半世紀が経ちました。その間、たくさんの教えを頂きました。2年前には奥能登の御自坊まで先生を慕う仲間と押しかけ、お話しをさせていただきながら楽しい時間を過ごすことができました。そのときにも京都本願寺から独立した当時から今に至るまでの御法主台下に対する篤い崇敬の念、浅草東本願寺に対する熱い思いをお話しくださいました。最期まで東本願寺派にはなくてはならない熱いお心の先生でありました。先生からいただいた教えをこれから仲間たちと共に引継ぎ、息子や孫の代にまで子々孫々伝えていき、御浄土で再会できたときにはまた笑顔の先生に迎えていただきたいものです。

 ひたすら悲しく辛い時間が過ぎていきました。そんな中、「一人ひとりが互いを認め合い多様性と調和を目指す」と謳うパラリンピックが24日に開幕されました。日々観戦させていただいておりますと、驚きと感動が止まりません。選手ひとりひとりの行動や考え方、コメントには本当に色々なことを教えられ、考えさせられます。

 競泳の山田美幸選手が銀メダルを取ったレースを夫婦で観戦しておりましたら息子もやってきて隣に腰を下ろし観戦をはじめました。私たち夫婦はレース序盤から山田選手を応援しレース後半には興奮し、銀メダルを取った瞬間には拍手をして喜びました。ふと息子に視線を移しますと息子は黙ってテレビを観ています。そして驚いたことに最後の選手がゴールをするのを見届けた後、「みんなすごい。素晴らしい」と言いながら大きな拍手をしたのです。自分が恥ずかしくなりました。

 参加することに意義があるといわれていたオリンピックが、いつの間にやらメダル至上主義になり、メダルが取れなさそうな種目は放映すらしてもらえず、メダルが有力視されていた選手が負けてしまうと日本全体が暗い気持ちになってしまうような空気感。そういうものに違和感を感じて、みんな努力してここまで来たのだからメダルを取れれば嬉しいけどそれだけじゃないよねと息子と話していたにもかかわらず、パラリンピックが始まっても私自身がまだメダル至上主義の心が残っていました。彼らの人並み外れた努力やサポートしておられる方々のことは忘れて金だ銀だ銅だのと一喜一憂する自分が恥ずかしいかぎりです。

 選手たちのコメントを聞いておりますと「今の自分を見て欲しい」とおっしゃる方がとても多いことに驚かされます。皆さんそれぞれ種々の障害を持っておられます。手が無い方、足が無い方、目が見えない方、耳が聞こえない方、様々です。しかしそれが自分なのだと受け止められ、自分に与えられた身体でなにをどうすればもっと上手くできるのか?もっと速く、もっと高く、もっと遠くへと試行錯誤しながら頑張っておられるのです。

 短距離走に出場されたヨハネス・フロアス選手は「私の障害は私に能力を与えてくれるものです。自分を阻むものは何もない。誰が何と言おうと、どれくらいできるのかなど関係ない。」とおっしゃっておられました。私はどうでしょうか?もっと背が欲しかったな・・・もっとイケメンに生まれたかったな・・・もっと頭が良ければな・・・などといつも今の自分を卑下して自分を否定しています。努力すればなんとかなることさえも努力もせずに愚痴をこぼしています。自分自身もさることながら、この世に生んでくださった親さえも否定しているといわざるを得ません。

 パラリンピックを観戦しながら、2年前に御自坊に伺った際に師匠がくださったご著書も読んでおりました。その中の「牛は隣の牛を羨まない」というひと言に目が釘付けになりました。「現状に満足せぬを餓鬼という」ともおっしゃいます。まさに私のことでありました。

 「そのままそのまま。そのままのあなたを救い取るよ」と私のすべてを丸ごと引き受けてくださる御仏の言葉を聴きながら、自分自身を見つめ、諦らかにし、なにものにも妨げられること無く先生が歩まれたお念仏の道を私も歩んでいこうと思います。皆さんもどうか御仏の声を聴き先祖の方々も喜ばれたこの道をご一緒いたしましょう。自分を大切に、自信を持てる人でなければ多様性を認めるなどということはできないのでありましょう。合掌

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