相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『念仏者は無碍の一道なり』(2021年7月 1日)

 永代経にはコロナ渦の中、思いもよらぬたくさんの方のご参詣有り難うございました。神奈川県は東京に次ぐコロナ陽性者が出ているにもかかわらず、なかなか予防接種も進まず心配にもなりますが、お盆頃までにはコロナウイルスも幾分落ち着いていることを願っております。

 最近、気になることをあれこれ検索しておりましたら徳川家康将軍の有名な言葉「人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし」という言葉に目がとまりました。その通りだなぁとつくづく思い、続きを知りたくなりました。「人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。不自由を常とおもえば不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときをおもい出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害その身に到る。おのれを責めて、人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」さすがは戦の無い時代を築いた天下の大将軍のお言葉です。ひとつひとつがまったくその通りであります。「おのれを責めて、人を責むるな」という言葉は今年の正月に掲示板に書かせていただいた清澤満之先生の「他を咎めんとする心を咎めよ」と同じお心はとても心に響きます。

 その晩テレビを観ておりましたらサッカー選手メッシさんの言葉が紹介されました。メッシさんはアルゼンチン生まれで、小さな頃から身長が伸びないという難病に冒され苦労された方で今なお完治はしておられないようです。現在は身長170センチだそうですが、サッカー選手としては小柄です。彼はとても努力し歴史に名を残すであろう名プレイヤーです。その彼がある人に「努力は必ず報われるのですね。」といわれたときに「努力すれば報われる?そうじゃないだろ。報われるまで努力するんだ。」とおっしゃったそうです。これもとても心に響きました。徳川家康将軍にしろ天才メッシ選手にしろやはり歴史に名を残される方の思想、言葉には重みがあり、ハッとさせられます。

 人生には悩みや苦しみが付きものですが、それが当たり前と思えばなんでもありません。欲が止めどもなく湧いてくるときには苦しかった時を思い出せば我慢できます。水戸光圀公が京都の龍安寺に寄贈したといわれる吾唯足るを知ると読める「知足のつくばい」も初代将軍の遺訓を大事にしておる現れでありましょう。

 私たちは皆誰もが頑張って生きております。当然頑張ればそこにはより良い未来が開けると期待もします。なにもしないで成功する人はいません。しかしメッシさんはその言葉を否定します。「そうではない。報われるまで努力し続けるんだ。」と。昔から努力すれば報われるといいますが、誰もが皆成功するとは限りません。報われるとも限りません。むしろ報われないことのほうが多いのかもしれません。報われないほうが多い・・・そこで考えさせられました。お二人とも名を残された方ですから間違いはありません。ただお二人の言葉を実践できる人はどれだけいるのでしょうか。人生は悩み苦しみの連続です。そこから逃れんが為に人はもがきます。後から後から湧き出てくる欲望も、貧しさを知っておれば知っているほど望みが高くなるのかもしれません。到底これで十分と思えずもっともっととあがくのが私たちではないでしょうか?私の嫌いな言葉に「WIN WIN」というのがあります。なぜ勝たなければいけないのかな?と思うのですが、現代は負けを許さない時代なのでしょう。報われるまで努力し続ける。これは大切ではあると思いますが、報われるとはどういう状態でしょう?自分が満足できる状態を指すのでしょうか?「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。やれることはやり尽くしたのだから後は結果を待つだけだということですが、この言葉の裏にはここまでしたのだから成功して当たり前という心があるのではないでしょうか。「人事を尽くして天命を待ったけれども思った結果にはならなかった。もっと努力しなければ」と思える人は素晴らしいですが、そうは思えず落胆し怒りに身を任せることが多いのではないでしょうか。

 そう思いましたら清澤満之先生の「天命に安んじて人事を尽くす」というお言葉が思い起こされました。私たち凡人(凡夫)にはどう考えてもこちらの方がぴったりと収まると思うのです。すべてを阿弥陀様にお任せできるからこそ悩み苦しみの絶えない人生を頑張れるのです。阿弥陀様の御光に照らされて我が身のありのままを見つめ、受け入れ、毎日最善を尽くして過ごせるのです。宗祖親鸞聖人は「念仏者は無碍の一道なり」とお示しくださいました。信心いただく者には何事も妨げるものはないこの道を迷わず歩みなさいとのお示しです。阿弥陀様は「自ずとなるべきようになるのだから如何なることにも妨げられず安心して日々励みなさい」といつでもどこでも私たちひとりひとりに話しかけてくださっておられます。悩み苦しみの絶えない人生ではありますが、阿弥陀様をよりたのみ、よりかかり、すべてお任せして人事を尽くしたいものであります。合掌

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