相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『前に生まれん者は後を導き 後に生まれん者は前を訪え』(2021年6月 1日)

 たまたまなのでしょうが、永代供養墓や、合葬墓の問い合わせが何件もありました。お会いしてお話を伺いますと、永代供養墓や合葬墓を検討されておられる方はたいていご自身が亡くなった後、お墓を守っていただける身内がおられないという理由が多いのですが、中には理由は様々ですが子供達に守ってもらえそうにないとか、迷惑をかけたくないとおっしゃる方がおられます。中にはお子さんとご一緒に来られる方もおいでで、実際に永代供養墓や合葬墓も見ていただく中で夫婦墓も見ていただきますとそちらに興味を持っていただけることが多いようです。

 また、同じ理由で墓終いをされる方、お仏壇を閉める方もおいでになられます。自分の代で親族がどなたもおられなくなり守っていけなくなるということなのですが、時折お子さんがおられるにも関わらず、子どもに守ってもらいたいけれど期待できない、迷惑をかけたくないとおっしゃるかたもおいでです。

 そのような、子どもに迷惑をかけたくないとおっしゃる方とお話しをさせていただきますと、たいていはお子さんが未婚でおそらく一生結婚しなさそうという切実な問題を抱えておられたりもするのですが、息子さんが所帯を持って御活躍なさっておられるというご両親もおられます。そのようなご両親が迷惑をかけたくないとおっしゃる気持ちは分からなくもないのですが、本当にそれで良いのか疑問に思います。

 今月の掲示板には浄土真宗七高僧第四祖、道綽禅師が著された安楽集に遺されたお言葉を、親鸞聖人が私たちに遺してくださった御聖典「教行信証」の締めくくりとして引用なさったお言葉です。

「前に生まれん者は後を導き 後に生まれん者は前を訪え
 連続無窮にして 願わくは休止せざらしめんと欲す
 無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」

 先に生まれた人は後に生まれてきた人を教え導きなさい。後に生まれてきた人は先に生まれた人から様々なことを学びなさい。そしてこの営みは決して途切れることなく永代に亘って本当に大切なことが継がれていかれることを願います。とあります。
それはなぜかという答えとして、「無辺の生死海」、人間として一人前のような顔をして生活をしているけれども、実際には悩みや苦しみをなにひとつ解決できずに同じ所をぐるぐると迷いの人生を歩んでいる私たち、そしてそのことにさえ気付かずにいる私たちに対して、迷いから目覚めて素晴らしい、光り輝くいのちの人生を歩んで欲しいとの阿弥陀如来、親鸞聖人、先に生まれ先に亡くなって行かれた方々の願いだからであります。

 お仏壇やお墓を終いたいとおっしゃる方々は皆さん揃って、ご先祖を大切にお守りし、日々お仏壇に向かわれ阿弥陀様に感謝のお念仏を称えておられる方ばかりです。そのようなお心がない方はそもそもお仏壇やお墓の先々のことすら考えていないことでしょう。南無阿弥陀佛のお念仏の日暮らしをし、先祖を敬い大事にして来られた方はその大事なことを途切れさせても良いのでしょうか?この大切なことを次の代に伝えることが大事ではないでしょうか。お子さんに迷惑をかけたくないとおっしゃいますが、お子さんに迷惑といわれたのでしょうか?お子さんを思っているのではなく、お子さんをまったく信用していないのではないでしょうか?そんなことをされたお子さんはかえって傷つくのではないでしょうか。

 阿弥陀如来の本願に出会い、迷いの世界から目覚め、悩みや苦しみは絶えないものの、しっかりとひとりで立ってまっすぐに歩んでいける。そんな人生をどうか連続無窮に途絶えることなくお伝えし導いてあげていただきたいのです。今、ご両親がお仏壇の大切さ、お墓の大切さ、念仏の大道を歩む大切さを伝えることを止めてしまっては、それこそお子さんやお孫さんに対して迷惑なことではないかと思うのです。

 今月6月20日は永代経法要を厳修いたします。去年は新型コロナウイルスの影響で寺族と役員さんだけでお勤めしました。今年も予防接種が始まったといえど安心できる状態ではございませんが、規模を縮小してでも大切なことを永代に亘ってお伝えしたいという気持ちを込めてお勤めすることといたしました。
感染防止には細心の注意をはらいますので、御家族おそろいでお参りください。合掌

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