相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『そなえよつねに』(2021年3月 1日)

 去る2月13日23時8分福島県沖を震源地とする最大震度6強の地震がありました。この地震による津波の被害はありませんでしたが、仙台に住む友人の話しによりますと家の塀にヒビが入ったとのことですし、福島に住む息子の友人の部屋も様々な物が倒れ部屋がひどいことになったそうです。亡くなられた方がおられなかったことは大変嬉しいニュースではありましたが、お怪我をなされた方や家などに被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 私はこの地震が発生したとき、本を読んでおりました。最初は「あれ?揺れているかな?」程度の感覚でしたが次第に横揺れが大きくなり、10年前の東日本大震災の横揺れと似た感じでしたのでとても恐怖を感じました。あのときの震度5弱ほどは揺れませんでしたが同じように地震の揺れに酔ってしまい吐き気も感じました。揺れが収まってから慌てて本堂などを見回り、無事を確認したあとテレビを付けました。テレビに映し出された「津波の心配はない」というテロップには本当にホッとしました。

 少し心が落ち着いてから備蓄してある物へと関心が移りました。10年前は飲み水や非常食、懐中電灯、乾電池などをすぐに探しましたがほとんどなにもないことに愕然とし急いでネットで注文しました。しかしそれらはことごとくキャンセルされてしまい、途方に暮れてしまいました。しばらくして地震の影響から日本全体が徐々に落ち着きを取り戻してから、保存できる飲料水や保存食、懐中電灯や乾電池、それにポータブルトイレなど考えられるだけ非常時の備えをしました。これで用意万端いつなにが起きても大丈夫だと安心しながら気がつくと10年の歳月が流れ今回の地震の後、備蓄してある物に考えを巡らせますと、コロナ渦の中での生活もあり水や食料はなんとか用意が足りそうですが、乾電池がないことに気がつきました。また懐中電灯なども1箇所にまとめておらず探すのに一苦労しました。もし今コロナ渦による非常事態宣言下の生活をしていなければ水や食料もどうなっていたか分かりません。

10年前の未曾有の災害、大勢の方を犠牲にし、今なお復旧が済んでいないあの地震に、生と死、日頃の用意などを身に染みてたたき込まれ教えられたというのに喉元過ぎれば熱さ忘れ色々なことがなおざりになっていました。

 今月の掲示板の言葉はボーイスカウト日本連盟のモットー「そなえよつねに」をお借りしました。本弘寺は先代住職が相模原第6団というボーイスカウトの団を発足させましたが、今から10数年前に種々の問題により閉団となってしまい、現在は境内に立つ相模原第6団発祥の地という石碑だけが建っております。

 それはさておき「そなえよつねに」は日本語ですから日本連盟のモットーと書きましたが、この言葉は各国の言葉で使われている大事なモットーであります。日本連盟のホームページによりますと、『いつ何時どんなことが起こってもいいよう、そして自分だけのためではなく、他の人も助けるよう、備えてこそ。
その「そなえよつねに」の「そなえ」には2つあると言われています。
スカウトのモットーは"そなえよつねに"であるが、それは自分の義務を果たすための準備が、精神的にも肉体的にもいつでもできているということだ。』抜粋ですがこのように記載されております。今現在も私の先輩や後輩たちが「そなえよつねに」をモットーに奉仕の精神で様々な場所で災害ボランティアに励んでおられます。とても頭が下がります。そして「精神的なそなえよつねにとは、いつも命令に従う訓練ができていること、また、起こりそうな事故、ありそうな事態をあらかじめ手落ちなく考えて、そのような時に出会ったら、その時にうつべき正しい方法を知っていて、それを実行する心構えがあることだ。」と記載が続きます。震災から10年早くも私の「そなえよつねに」は崩壊しはじめていました。気をつけていかなければなりません。

 ちなみにボーイスカウトには3箇条の誓いがあります。最初の誓いは「仏と国とに誠を尽くしおきてを守ります」です。しっかりとした宗教心を持つことが求められています。浄土真宗でいうならば信心決定した姿こそ大事だと言うことであります。蓮如上人はいつも「後生の一大事をはっきりさせなさい」とおっしゃいました。後生とはこの娑婆での生活が終わったときのことです。今この人生が終わったとき私はどうなるのかはっきりと見定めることが後生の一大事です。親鸞聖人は「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」とお示しくださいました。阿弥陀如来の必ず仏として極楽浄土に救い取るとの御本願を心から頂け、お念仏がこぼれるその姿こそ後生がはっきりした人と言えるのです。後生がはっきりしますと清澤満之先生のおっしゃった「天命に安んじて人事を尽くす」という後生がはっきりしているのだからあとは細かなことは気にせずに日々怠ることなく努力して生きていけるという明るい生活が開けるのであります。このことが私たち浄土真宗門徒における「そなえよつねに」だと思うのです。怠ることなく「そなえよつねに」の人生を歩みたいものです。合掌

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