相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『他をとがめんとする 心をとがめよ』(2021年1月 1日)

 明けましておめでとうございます。本年も皆様と聞法を共にしていきたいと存じます。よろしくお願いいたします。

 「一年の計は元旦にあり」と申します。新しい年を迎え、心新たに1年の目標を立て、実現に向けての道筋、計画を立てる重要な日です。皆様もそれぞれ胸に抱いた目標や夢がございましょう。そしてそれに向かって歩み始めておられるお方もおいででしょう。私も本年の目標と計画があります。と言いましても去年からずっと考えていることを元旦に再度心新たに決意したということです。お互い切磋琢磨して歩んで参りましょう。

 今年最初の掲示板には明治時代に活躍なされた清澤満之先生のお言葉を書かせていただきました。この言葉を選ばせていただいたのは、去年1年を振り返るに最もふさわしい言葉に思えたからです。

 去年は平和なお正月を迎えさせていただきました。1月初旬に横浜で開催した僧侶仲間との新年会もたわいのない話しで盛り上がり、なんの不安もない中で解散しましたが、それから間もなく対岸の火事のように感じていた新型コロナウイルス感染が問題となり春のお彼岸前にはいよいよ他人事ではなくなりました。

 それにより、マスクや消毒液が枯渇し、日夜ドラッグストアの前には長い行列ができ、その行列の中でいざこざが起きたり、店員さんに掴みかかったり恫喝するというニュースが日夜報道されました。5月の連休前には緊急事態宣言が発令され多くの方が自粛生活を守られましたが、中にはむしろ今だからこそ空いているだろうと遠方まで出かけたり、営業中の遊戯施設に出向く人がおられ、そういう人を批判する人や報道が増え、他県ナンバーの車に対して生卵を投げつける人がいたとも聞いております。芸能界は目につきやすいようで、感染された方がどのようなことで感染したかをとりあげ、やはり批判する報道が多かったように思います。最近では管首相や政府関係者、国会議員の会食が問題とされ、これも毎日のように批判報道が繰り返されました。
 皆さんは覚えておられるでしょうか?マスク不足の3月に山梨県のお嬢さんがご自身のお年玉貯金を使った手作りマスクを山梨県庁にご寄付なされたニュースを。私を含め大勢の方が感動しました。しかしこのお嬢さんを批判する人までいたのだそうです。なんとも寂しい悲しいことです。

 確かに長い時間並んでいるところに横入りや順番取りなどをされると腹も立つでしょう。自粛生活を守っておられる方にとって、気にもしない人は腹立たしいでしょう。国の代表が国が決めたことを率先して破れば批判されても仕方ないのかもしれません。

 しかしなぜここまで他人を批判する人が増えてしまったのでしょうか?またその人々は他人を批判するほど正しい行い、正しい思想で日夜御活躍なさる聖人君子なのでしょうか?実は私も批判する日々を送っております。誰かを批判する報道を観てはその報道に対して批判している毎日です。やっていることは同じです。

 本弘寺の本堂は築50年を超えました。あちらこちらの老朽化が目立つようになってきました。とくに木戸の滑車はひどいものでガタがきていて開け閉めするとガタピシときしんでいます。このガタピシという言葉ですが、普通はカタカナで書きます。しかしこの言葉、実は仏教からきている言葉で「我他彼此」と書くのです。自分と他人を区別し、あっちとこっちを区別する心のことです。聖徳太子は十七条憲法の第十条に「我必ず聖に非ず。彼必ず愚に非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。」と示されました。私たちは皆自分が正しく、自分と違うことをしたり考えるものは間違っていると批判してしまいます。だからこそこの言葉を使われたのです。去年1年で誹謗中傷が後を絶たなくなったのは、元々私たちが持ち合わせていた我と他を区別し、彼と此を区別し、我と此でないものは否定し排除していく心が、新型コロナウイルスにより増幅された結果でしょう。先の見えない新型コロナウイルスとの戦いと新しい生活様式の中で気持ちも晴れず、何かにぶつけて気分を紛らわしているのかもしれません。いずれにしても悲しいことだと思いませんか。

 おそらくまだしばらくこのウイルスの状況は変わらないでしょう。コロナウイルスによって世の中全体が「我他彼此」と音を立てています。あなたの心も「我他彼此」していませんか。なんでも誹謗中傷批判するのではなく相手を認め、赦していくことが大事ではないでしょうか。もし自分の中で「我他彼此」と音を立て始めたときにはその自分をとがめることが大切でしょう。心までコロナウイルスに負けてはならないはずです。合掌

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