お盆の法要が終わり、一息つけた8月16日の夕刻から、役員世話人の方々と慰労会を催しました。ソーシャルディスタンスが求められる昨今でありますから当然距離を開けての会となりましたが、久しぶりの会と言うことで皆さんと楽しいひとときを過ごせました。1時間ちょっとで会もお開きということになりました。私は皆さんをお見送りしつつ戸締まりをしようと外に出たのですが、ここから記憶がまったくありません。
次に記憶があるのは、胃カメラを喉の奥に入れられゲェゲェと何かを吐いていることでした。その後の記憶も曖昧なのですが、朝になり目が覚めるとたくさんのコードが身体に付けられており、点滴をされていました。「ん?なんだこれは?病院?あれ?なにがどうなったのだろう?」と驚きました。その頃看護師さんが部屋に来てくださいまして、昨日の記憶はありますか?と尋ねられましたが、ほとんどなにも記憶していませんでした。そして私がいるところは相模原赤十字病院だと教えられました。
結局なにが私の身に起こったのかよく分からないまま時間が過ぎていきましたが、先生が部屋に来てくださり、説明を受けて様々なことが分かりました。
私は家の階段で気絶をして倒れており、救急車で運ばれたのだそうです。救急車の中で洗面器一杯くらいの血を吐き、赤十字病院で検査を受け、食道と胃の境目にできた静脈瘤から出血をしていることが分かり、急遽クリッピング手術を施されたとのことでした。血圧も一時は60を下回りそうになり危なかったようです。
この食道のあたりに静脈瘤ができるのは肝硬変の患者さんによく見られる症状だとの説明を受けました。しかし、私は毎年6月に健康診断を受けていましたし、その時には中度の脂肪肝だとは言われましたがたいして気に留めていませんでした。ガンマGTPの値も以前から指摘はされておりましたが自分より数値が高くても元気な人は大勢いると思い、これも真剣に受け止めないできました。それに私がお酒を習慣的に飲むようになったのは11年前ですからこれくらいの期間で壊れるようなものではないとも思っていました。ですからこの時、先生に肝硬変かもしれないと宣告されたときも気楽に考えていました。まさか自分の身にそんなことが起きるわけはないと思っていたのです。
入院3日目ごろ、肝臓の検査がありました。気楽に考えていたのもここまででした。先生の口から「初期の肝硬変ですね。お酒はなるべく控えなさい。というよりも止めなさい。」と宣告されたときは頭が真っ白になりました。その次に頭をよぎったのは、今後晩酌はもちろんのこと、友人たちとの酒宴もできないのか・・・ということでした。なんとも愚かで欲深い私です。
そのあと少しずつ冷静さを取り戻しますと色々なことを考える時間ができました。今から11年前の春、私はくも膜下出血の手術を受けました。その時は死を覚悟しました。ことあるごとに歎異抄から「ひとのいのちは、いずるいき、いるいきをまたずしておわる。」や、御文から「まことにもって人間は、いずるいきはいるをまたぬならいなり。」というお言葉を皆さんに伝えてきましたが、言っている自分が一番理解できていなかったのだな。本当に人はいつどこでどうなるか分からんものだな。とつくづく考えさせられました。
絶対に死ぬと覚悟をしていたのですが手術は無事に済み、目が覚めたときには「ああ、いのちをいただいたのだな。」と感じ、これからはいつどこでどうなろうと後悔しない人生を歩もうと決心したものです。
それからというもの、日々「死」というものは考えていたのです。今日かもしれない、明日かもしれないと意識はしていましたし、朝になって目が覚めますと、「ああ今日も有難いことだな。精一杯頑張ろう」と感謝の朝を迎えていました。夜寝るときも、「今日も一日無事に過ごせました。また明日目が覚めたら頑張ります。」と眠りについていました。それなのに毎年毎年注意をされていた肝臓に関してはまったく無頓着で、そのうち考えなくてはいけなくなるだろうけど、自分はまだまだ大丈夫。だと思っていたのです。結局なにも、生死に関しても結局習慣で考えているつもりになっていただけで理解できていなかったのでしょう。
そのことに気がつきますと、「いのち」ということを考えずにはおられなくなりました。私が失血性ショックで気絶をしているときも、記憶を消失しながら寝ているときも、今回のことだけではなくそれこそ何時でも何処でも私がどうあろうと私のはからいなどなにも関係なく「いのち」は私を生かそうと働きづめでいてくださったのです。もし今回喀血して救急車で運ばれ、検査の結果初期の肝硬変だと分からなければ私は今夜もお酒を飲んでいることでしょう。そう思いますと、初期で気がつかせてくださったことに感謝しかありません。「いのちの働き」に生かされ「仏様の願い」に生かされている私なのだと思えるのです。
聖人は「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。」と歎異抄でお示しくださっておられます。まだ私は力の限り生きているとはいえません。身体が限界を迎えるその時まで、いのちの働きに生かされ、仏の願いに生かされ、感謝し力の限り励ませていただこう思うのです。合掌