相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『比べて生きるのはつらいこと そのまま そのまま』(2020年7月 1日)

 友人の4才になる娘さんが「お父さんのチャーハンが食べたい!」と言ったそうで、友人は娘のリクエストに最大限応えるべく「最高の焼豚」を奮発して購入し、親父の意地で腕によりをかけて美味しいチャーハンを作ったのだそうです。当然、最高の笑顔で「お父さんのチャーハンは世界一美味しい!」と言ってもらえると期待していたそうですが、まさか「私は焼豚大嫌い。美味しいチャーハンが食べたかった。」と言われてしまったのだそうです。友人は腹が立ち、「好き嫌いしないで食べなさい!」と叱りつけたそうですが、娘さんに大泣きされてしまったとのことでした。その後、友人は自分は良かれと思って行動したのに、相手には伝わらない事って多いですね・・・と言っていました。子ども相手にとどまらず、こういう出来事は私たちにも頻繁に起こります。

 この話しを聞いたとき、本願寺3代目の覚如上人が著された「口伝鈔」に残されたお話しを思い出しました。

 親鸞聖人が法然上人の元で学ばれていたときのお話しです。聖人が法然上人の元へ向かっていますと、九州から来たという1人の修行者に出会いました。その修行者は「京の都に仏教に精通され智慧第一と言われる上人がいらっしゃるとのことだが、どこに住んでおられるかご存じではないか?」と尋ねられたそうです。そこで親鸞聖人はそのお方というのは法然様のことですか?と尋ねるとそうだというので、法然上人の元へとその修行者を案内して行きました。

 法然上人に出会えたその修行者は、負けた方は勝った方の弟子になるという智慧問答を仕掛けたのでしたが、あっさりと負けてしまい、その修行者は法然上人の元で学ぶこととなりました。

 3年間学んだ修行者はある日「故郷が恋しくなったので九州に戻ります。」と言って道場をあとにしました。その姿を見送っていた法然上人が「あの者はもとどりを切らずに行ってしまわれた。」とおっしゃいました。その声が聞こえた修行者は法然上人の元に戻り、どういう意味なのか尋ねられますと、
「人には3つのもとどりがあります。勝他・名聞・利養の3つのことです。
あなたはこの3年間で書きためた私から学んだことを持ち帰り、故郷で人々に伝えることでしょう。これは相手より勝っているとみせたい勝他のもとどり
それによって師と仰がれようとするでしょう。これは名聞のもとどり
またそれによって信者を増やし財を築こうとするでしょう。これは利養のもとどりです。
良き仏教者になるにはこれら3つのもとどりを切らなくてはならないのです。」とおっしゃいました。その話を聞いた修行者は深く反省をし、書きためていた物をすべて燃やして九州に帰って行きました。

 もとどりとは髻と書きまして、貴族が冠や烏帽子ををかぶるときに頭のてっぺんで髪の毛を束ねた箇所のことですが、「髻を切る」という言葉自体に出家をするという意味があるのだそうです。

 法然上人がおっしゃった3つの髻「勝他・名聞・利養」ですが、友人の話を聞いてこのお話しを思いだしたのは、お父さんのチャーハンが食べたいとの娘のリクエストに誰にも負けない最高級の焼豚を求める心は勝他の心と利養の心。そして最高のチャーハンを食べた娘から褒められたいとの名聞の心に感じられたのです。

 友人の話しではありますが、まさに私の心を見事に現してくれたエピソードだと思いました。負けたくないと思うことはよくあります。それに褒められたり偉い人と思われたいとの気持ちもやはりあります。できたらお金にも困りたくないですし、息子に残してやりたいとも思います。

 私たちはなぜか、誰かと比べてしまいがちです。あの人には負けたくない。あの人に馬鹿にされたくない。あの人より良い生活をしたい。なんにつけても誰かと比べて生きているような気がします。誰かと比べていないと自分が何者か分からなくなるかのように。しかしそのような生き方は疲れます。

 アメリカの教育学者エルバート・ハバードという人が「人がお互いをよく知れば、憧れも憎しみも生まれないだろう。」という言葉を残されています。これには深く頷かされます。ただ、相手をよく知る前に自分自身をよく知る必要があります。誰かと比べるのではなく自分の心をよくよく見つめ、知ることが大切でありましょう。自分らしく生きなさいそのままそのままと阿弥陀様のお声が聞こえる思いであります。南無阿弥陀佛

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