相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『ものごとは心にもとづき 心を主とし 心によってつくり出される』(2020年6月 1日)

 新型コロナウイルスの影響による緊急事態宣言が全国で解除になり、街や公園、様々なところに人が出かけているようです。緊急事態という言葉がなくなり少し心も晴れやかになっておられる方も多いのでしょう。多くの人はやはり外で澄んだ空気を胸一杯吸い込みながらノビノビとしたいのでありましょう。しかし、緊急事態宣言が解除されたからといって新型コロナウイルスが消えたわけではないので皆さんどうか手洗いや除菌など用心しながらの日々をお送りください。

 この新型コロナウイルスが世界中に広まり、多くの方々が病気に苦しまれたり、残念なことにお亡くなりになったり、多くの方々、ご家庭が深い悲しみの中におられることでありましょう。そういう中で日本の仏教界も様々な活動をされておられるようであります。感染の収束を願って様々な名称や組織があるようですが「共感の鐘」「命の鐘」という活動で賛同された多くの御寺院がお寺の梵鐘を鳴らして一刻も早い収束を願われておられます。また御朱印なども特別に収束を願うものもあるとのことです。ちなみに当寺は梵鐘も御朱印もありませんので参加はしておりませんが。

 当然そのような相手の幸せを願う活動は尊いと思います。コロナウイルスを逆縁にして仏教界が心をひとつにし、日本中がまとまり、世界も平和になっていけばすごいことであります。今こそ仏教が世界で弘まっていくことが大事だと思います。

 今月の法語も先月同様、釈尊のお言葉を集めた「法句経」から引用させていただきました。

「ものごとは心にもとづき 心を主とし 心によってつくりだされる
 もしも汚れた心で話したり行ったりするならば 苦しみはその人に付き従う」

「ものごとは心にもとづき 心を主とし 心によってつくりだされる
 もしも清らかな心で話したり行ったりするならば 福楽はその人につき従う」

 親鸞聖人は私たち衆生を悪人と仰せになりました。当然清らかな心で話したり活動をしたいと誰もが思ってはいますが、実際は人や政府の悪口を言い、人より得をしたい損はしたくない。そのような心持ちでいるときの方が圧倒的に私たちの心を占めているのではないでしょうか。

 釈尊は六波羅密(ろくはらみつ)という人々が行うべき六つの修行を説かれております。
布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しようじん)、禅定(ぜんじよう)、智慧(ちえ)。この行はこの世で悟りを開き仏となるために必要な行であります。当然これらの行をすべて修めることができるならばそれはそれで大変けっこうなことでありますが、そこは悪人の私たちであります。ですから阿弥陀如来の本願が必要で、有難いのでありますが、できないからといって捨て去ってよいと言うことでもありません。

 今回は難しい仏教の話しではなく、私たちでも今できるのではないかという観点でこの六波羅密を考えてみたいと思います。
1,布施の行は、見返りを求めずに自分のできることをさせていただくということです。日常の生活で家族や知人に対してできることをさせていただくことはとても大切なことです。家の仕事を手伝うなんていうことも普段していないならしてみてはいかがでしょう。

2,持戒の行は、戒律を守るということです。簡単に言えば自分で決めたルールを守っていくということです。一日一善とか、お母さんのお手伝いを心がけるなどでもいいでしょう。決めたことを守ってみてください。

3,忍辱の行は、耐え忍ぶということです。外に出て騒ぎたい、仲間達と酒席を持ちたい、買い物で憂さ晴らししたい、当然起こるであろうそういう心を、ひとつふたつ我慢してみるのはどうでしょう。

4,精進の行は、日々精進を続けていくことであります。学校も再開されるようですが、学業や仕事に励み、他にも上記の事柄を怠けずに励んでいくことはこれからの生活でもとても大事なことでありましょう。

5,禅定の行は、心を落ち着かせて冷静でいるということです。なにかにつけておろおろと慌てたりするのではなく、冷静に物事を判断し、今後は起きそうもありませんが買い占めに走ったりするのは注意をいたしましょう。

6,智慧の行は、本来ならば上記の行に励み、仏の智慧、真理を見極めていくということでありますが、今私たちができることは、自分で決めた布施、持戒、忍辱、精進、禅定の行を通して、いかにこの困難な事態の収束に向かって歩んでいくのかを見極めていくことではないでしょうか。

 未曾有の事態に私たちは困惑しながらも前に向かって歩んでおります。仏法に耳を傾け、人として大切なことを心がけながら歩んでまいりましょう。必ず明るい未来が開けてくることでありましょう。合掌

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