朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり
先月8日の定例法話に元気そうに参加なさっておられた、婦人会の会員さんがそれから2日後に急に往生なさいました。死因はくも膜下出血でした。
その日の午前中はご近所さん達とお話しをなさったりして元気だったのです。
普段は18時頃にお風呂に入り、19時前にはお風呂から出ておられたそうですが、ご長男が19時半頃ご帰宅なさったとき、お風呂にまだ電気が灯っていたそうです。今日は遅かったのかな?くらいでそれほど気にもとめなかったとおっしゃいました。しかし21時頃に再びお風呂の前を通ると電気が点きっぱなしだったので消し忘れかとドアを開けたところ、お母さんがお風呂に沈んでいたのだそうです。驚きも当然ながら、さぞ恐ろしかったことでありましょう。このお話しを聞かされたとき、蓮如上人がしたためられた「白骨ノ御文」のお言葉「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」そのものだなと思い知らされました。午前中普段通りにお元気でおられた方が、その日の晩になんの前触れもなくそれこそ急に亡くなってしまわれたのです。
実は私も今から11年前40才の時に、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を経験しておりまして、妻の機転で命を今に繋げていただいております。妻の機転が無かったなら私はもしかしたら死んでいたことでありましょう。
死を覚悟しながら手術を待つ間、頭の片隅に常に「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」のお言葉があり、死を覚悟してようやく分かるとは情けないことだと思っておりました。1か月の入院を経て寺に戻れたときには、毎朝目が覚めると、今日の命をいただけたことに感動し今日1日を励もうと心に刻み、夜眠るときには、一日を過ごせたことに感謝をし、明日もしもまた目が覚めたなら全力で命をいただこうと布団に入ったものでした。
しかし、命をかけた経験をさせていただいたにもかかわらず、のど元過ぎれば熱さ忘れるの言葉通りに、命を見つめることもなくなり毎日が当たり前に来ると思い込んだ元の生活に戻ってしまいました。そのことを婦人会会員さんに思い出させていただきました。
明日があると思い込んだ生活の日々を過ごしていたと言うことに気付いたとき、同じ「白骨ノ御文」から「我やさき 人やさき きょうともしらず あすともしらず おくれさきだつ人は もとのしずく すえの露よりもしげしといえり」のお言葉をしみじみといただきました。
私が先に死ぬかもしれません。他人が先かもしれません。今日死ぬのか明日なのかそれすら分かりません。草木のしずくや葉先の露が落ちて消えていくよりも私たちの命は儚いものであります。というような意味です。
この御文を拝読させていただきながらも私の心の奥深くには私はまだ大丈夫だろう。当然いつかは亡くなるのが約束事ではあるにしても、今日明日と言うことはなさそうだ。と思い込んでいるのです。今日明日は大丈夫と思いながら次の日になると、また同じように今日明日は大丈夫だと思い込んでいます。毎日今日明日は大丈夫だと思っているならば私は死なないと思い込んでいるのと同じ事になります。愚かなことであります。
「白骨ノ御文」は「人間の浮生(ふしよう)なる相をつらつら観ずるに おおよそはかなきものは この世の始中終(しちゆうじゆう) まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり」で始まります。私たちの一生とは根を張らない浮き草のようにあっちへふらふらこっちへふらふらと、生まれてから臨終に至るまで根無し草のように儚いものですと教えてくださいます。貧しい出身から天下人にまでなった豊臣秀吉も辞世の句で
「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」と詠んでいます。
私たちはなんの保証もない毎日を、不思議と当然明日は来るものと思い込んで、根無し草のような日々を送っているのではないでしょうか。ただこの度亡くなられた婦人会会員の方は生前、ご次男さんに「私が死んだら棺にこの三つ折り本尊様を一緒に入れてね」とお願いされておられました。御本尊様を棺に入れるような作法やしきたりはございませんが、必ず阿弥陀如来が私を極楽浄土に往生させてくださると信じておられたあらわれでありましょう。このことはとても大切なことであります。親鸞聖人をはじめ、大勢の善知識の方々が「後生の一大事をはっきりさせなさい」とお説きくださっておられます。「白骨ノ御文」の最後もやはり「たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて 阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて 念仏もうすべきものなり」と説かれています。いつどこでどうなるか分からない私の命であるということを深く心にとどめて、死んだらどうなるのかというとても大事なことをはっきりとさせる。死を見つめその後の行き先がはっきりしたところに、それまで儚かった人生にしっかりとした根が張り、一日一日を充実したはりはりとした人生が歩めるのだと思います。南無阿弥陀佛