相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『和顔愛語(わげんあいご) 先意承問(せんいじようもん)」(2019年9月 1日)

和顔愛語 先意承問

 はじめて求めたとある月刊誌をペラペラとめくっていましたら、曹洞宗長寿院の篠原ご住職様という方が執筆なされた『優しい親心がなぜ悪い』というタイトルが目に飛び込んできまして、とても心が惹かれ、読ませていただきました。

 篠原ご住職は自殺防止ネットワーク風というNPO法人の代表もされておられるとのことで、様々な理由で自殺を考えている方とお話しをされる機会が多いのでありましょう。私が拝読させていただいたお話しは「オレオレ詐欺」とか「振り込め詐欺」と呼ばれているいわゆる「特殊詐欺」の被害に遭われた方のお話しでした。例として2件のケースをあげてくださっておられます。

 1件は79才の独居女性の話しです。コンビニエンスストアーを経営している娘夫婦の取引銀行から電話がきて、お店が倒産の危機にあるので300万円用立ててくださいと言われたそうです。その電話のすぐあとに顧問弁護士を名乗る男性からも電話があり、急いでくださいと言われたのです。「娘夫婦を助けたい!家族の役に立ちたい!」との心から迷わず夫の残してくれた300万円を手渡しました。その後女性は「やっと私が役に立つと思ってしたことが詐欺と分かったとき、私に返ってきたのは娘夫婦からの"バカ""ボケ"の罵声でした。騙された私が悪いのです。もう主人の所へ行きたい」と話されたそうです。

 2件目は孫が店の売り上げを盗んだとの店長からの電話に、82才のおじいちゃんは店長に言われるがままにタンス預金の400万円を"受け子"の若者に渡しました。おじいちゃんは「ああ、オレも孫の役に立てた。金持って死ねるわけもねえしよかった!」と嬉しさがこみ上げてきたそうです。しかしおじいちゃんを待っていたのは2人の息子の激しい叱責の数々でした。「なんで相談しなかった。認知症か!」「じいさんが死んだらオレ達の遺産になっていた金だ。」
それから1週間後、おじいちゃんは自分を責めて首をつって自殺したのです。そして数日後には「お父さんの所に行きます。ごめんなさい。」とメモを残しておばあちゃんも同じ道を辿ったそうです。

 なんとも寂しい話しであります。篠原ご住職はこういった特殊詐欺に引っかかってしまう人は「自分は大丈夫」と思っている人に多いと言われます。そして「自慢の息子がおり、溺愛を生きがいとする孫がいる。」と仰います。そして独居生活をしている超高齢者の家族から捨てられたという寂しさから来る「高齢者の捨てられた感」も大きな要因だと言われます。
自慢の息子が困っている。目の中に入れても痛くない孫が窮地にある。そう思えばすべてをなげうってでも助けたいと思われるのでありましょう。

 特殊詐欺のニュースはほぼ毎日のように聞きます。相模原防災放送でも毎日のように被害に遭わないようにと放送やメールが届きます。被害件数は今年の6月までの半年間で8025件。被害総額は146億円を超えているとのことです。
このようなニュースを目にすると私たちは何を考えるでしょうか?「あーお可哀想に・・・」と思われることでしょう。もしくは金額があまりに多くて驚いたときには「うわー持っている人は持っているのだな・・・」などと不謹慎なことを考えてしまうこともあります。犯人が映し出されると「ひどい人間だ。こいつにもおじいちゃんやおばあちゃんがいるだろうに・・・その人達が困り泣く姿を思い浮かべることさえできないのだろうか?」などと考えたりします。せいぜい私たちの思うことはこのようなところ止まりではないでしょうか?

 しかし被害に遭われた方には想像を絶するその後の生活があると教えられました。なかなかそこまで考えが及ばないの私たちではないでしょうか?
今回私が紹介させていただいた、篠原ご住職があげてくださった2つのケースを読んで皆さんはどう感じられたでしょうか?「なんてひどい息子達だ!おじいちゃんおばあちゃんが不憫だ。」そうお感じになるのではないでしょうか?実際私もそう感じます。
ただ、ここで忘れてはならないのは「もし私の親が特殊詐欺の被害者になったら私はどう行動し、どういう言葉を投げかけられるのか?」ということを考えてみることではないでしょうか?私は、なんてひどい息子達だ!と憤慨していましたが、優しい言葉で慰めることができるでしょうか?まったく自信がありません。この息子達と同じ事を言い放つのでは無いかと思うのです。

 私たち浄土真宗の門徒が大事にいただいている佛説無量寿経のなかで釈尊は、「和顔愛語 先意承問」というお言葉を説かれています。和やかな笑顔で、愛のこもった優しい言葉で誰とでも接し、相手の気持ちを先に察して、喜んでいただくことが大事だと言うことであります。日本の根幹を仏教の教えとされた聖徳太子も「和を以て貴しとなす」とお示しくださいます。大事な人に怒った顔で、汚い言葉を投げかけ、自分さえ良ければいいという私ではないでしょうか。このことを真剣に考えてみてください。合掌

 

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