相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『錆は鉄より出でて鉄を腐らす 愚痴は人より出でて人を亡ぼす』(2019年7月 1日)

錆は鉄より出でて鉄を腐らす 
愚痴は人より出でて人を亡ぼす


 僧侶をしていますと、様々な方から種々ご相談を承ります。ご法事の予約や内容の件、年老いた親御さんのご葬儀の件や、お墓や仏壇の相続の件などが多いのですが、中には家族間の話しを相談に来られる方もけっこういらっしゃいます。
内容も多岐に亘ります。中にはおそらく他の人には話しにくいので私にお話しなさっておられるのだろうなと言う方もいらっしゃいます。そのような複雑であったり、即答しかねるお話し、弁護士さんとお話しされた方が良いのでは?というようなご相談の方も多くいらっしゃいますが、どうお答えすることがこの方にとって良いのだろうかと最も悩むのが、家族や親戚の方への不満話しです。


父の傍若無人な振る舞いがどうにも許せません。
母は本当に身勝手でだらしのない人でした。
親が死んだと連絡が来ましたが私は今後一切付き合う気はありません。
息子からお金を要求されて老後のためのお金を使い果たされました。
などなど良く耳にするような不満話しを皆さん口になさいます。いわゆる愚痴です。


 実際、その立場になったら嫌だな・・・これは可哀想だな・・・と頷ける事柄も多いのですが、そのような愚痴をこぼされる方に多く見られるのが、不思議とたいていの場合話しが大きくなっていくのです。話し始めたときよりも相手の悪い行いがどんどん大きくなっているのです。最初は遠慮がちに相手に対する不満な思いを話しておられたのに、気がつくと聞いている私にとってはただの悪口にしか聞こえない話しになっているのです。


 私も仲間とお酒を飲みに行ったときなど、家族や友人に対する不満を口にしてしまうことがあります。年に数回しか会えない友人との酒席なのですから当然楽しい話しをして過ごしたいのですが、ふと気がつくと愚痴をこぼしはじめ、最終的にはただの悪口になっていることが多々あります。恥ずかしいことであります。


 そんな時いつも思い出すのが今月の掲示板の釈尊のお言葉です。
「錆は鉄より出でて鉄を腐らす、愚痴は人より出でて人を亡ぼす」
法句経では
「鉄から起こった錆が、それから起こったのに、鉄自身を損なうように、
 悪をなしたならば、自分の業が罪を犯した人を悪いところにみちびく。」

とお説きくださっておられます。



 「身から出た錆」という言葉がございますが、上の言葉が語源となっています。ここでいう身とは「刀の刀身」のことなのだそうです。どんなに優れた刀鍛冶が鍛えた業物でもそのままにしていたら錆びてしまうそうです。
このことから「刀身」を「我が身」と捉え、「錆び」を「悪をなした報いとして身を滅ぼす」という意味で使われるようになったのです。自分が成した悪い行いは必ず自分を滅ぼすということですね。


 私たちは日々、自分の行いには目を向けず、周りから受けた行いが少しでも気にくわないと苛々して、八つ当たりをしたり、心の中で怨み辛みをどんどん膨らませてしまいます。そして他人に言ったからといって何も解決はしないと分かっているのに、むしろ自分が嫌な奴だと思われることもあると分かっているのに、気がついたときには愚痴が出ているのです。「口は災いの元」という言葉もありますように最初は小さな行き違いだったことも、人に愚痴をこぼしたときから陰口となり悪口となるのです。つい口にした愚痴が元で家族から相手にされなくなり、友人が離れていくこともあるでしょう。


 釈尊は法句経の中でこんな事も説かれておられます。
「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
 ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」

この教えは他人のなすことを見てはいけないと言っているのではありません。
他人にされた自分にとって不都合なこと、他人のしてくれたこと、してくれなかったことでいちいち一喜一憂していてもつまらないことです。そうではなくて普段見つめていない自分の行いを深く見つめなさい。ということでありましょう。


 日々の自分の行いを深く見つめ、日々努力していくことが大事なのです。人の愚痴ばかりこぼし、身から出た錆で自分の人生をおとしめるのは自分自身なのです。合掌

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