相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『天上天下唯我独尊』(2019年4月 1日)

天上天下唯我独尊


 毎朝本堂でのお勤めのあと、お内仏(御仏間)でもお勤めをしております。お内仏は高島家の過去帳を安置しておりますので、先祖の方々の御命日には過去帳を開いてお勤めをします。
7名の先祖の方々を記載してある過去帳を眺めていますと、祖父母以外の方にはお目にかかったこともないのですが、様々な思いが浮かんでまいります。


 曾祖母は38才の若さで亡くなられました。そのことがきっかけで人は死んだらどうなるのだろう?自分も必ず死んで行く身、自分が死んだらどうなるのだろう?と悩み、その解決のために仏門に入られた祖父であります。
曾祖父は僧侶になりたいと申し出た跡取りである長男を快く送り出してくださいました。そして祖父が相模原の地で布教をしたいと考えられたときも田畑を売ってお金を工面してくれた曾祖父でした。
相模原でお生まれになった待望の跡取りである伯父は5才という幼さで医療ミスが原因で亡くなりました。


 このどれかひとつでも起こらなければ私は私としてこの世に生を受けることはできませんでした。曾祖母が長生きされておられたら祖父は僧侶にはならなかったでありましょう。曾祖父が僧侶になることを許してくださらなければ祖父は農家を継がれておられたでありましょう。また伯父が亡くならなければ伯父が本弘寺の跡取りとなられており、私の母と父は出会うことも無かったことでありましょう。たった3代さかのぼるだけでも私が私として生まれて来られたことはただ事ではありません。


 佛説無量寿経の中に無有代者というお言葉が出てまいります。人生がどんなに辛かろうと苦しかろうと自分の人生は誰も変わってくれない。自分で背負うしかないのだという意味でございます。私はこのお言葉を私を私として生んでくださった様々なご縁を鑑みるに、この私を他の誰でもなく私になるべく生んでくださったのではなかろうかと感じたりもするのです。誰も変わりの無いこの私だからこそ私は私のこのかけがえのない人生を日々怠ることなく歩まなくてはならないと思うのです。


 そう思えてきますと釈尊がお生まれになってすぐに発せられたと言われている


天上天下唯我独尊


というお言葉がとても重みを持って感じられ考えさせられます。


 このお言葉はしばしば勘違いされてとても傲慢な意味に捉えられております。「天の上にも天の下にもただ釈尊一人だけ尊い」そのように捉えられておられませんでしょうか。これはまったくの間違いであります。
このお言葉の「我」とは釈尊お一人を指しているのではありません。我々の我と考えるとわかりやすいかもしれません。1人1人すべての命を指しております。
そして現代も深刻な問題でありますインドのカースト制度があります。
当時インドでは生まれた家によって身分が細かく決められており、生涯その身分から抜け出すこともできず、その身分同士での結婚以外は許されていませんでした。釈尊の説かれた仏教はその身分制度や差別を否定されました。ですからこのお言葉は「生きとし生けるすべての命はみな等しく尊い」という意味なのであります。


 私の知る先祖はとても少ない人数です。父方の曾祖父母のことはほとんど知りません。ですが数え切れない大勢の先祖の方々のご苦労と願いの中に、今私は私として天上天下唯我独尊な命をいただき無有代者の人生を歩ませていただいておるのだと思うと私の人生がとてもかけがえのないものだと感じます。


 以前どなたかに聞かせていただいた話しですが、結婚を考えていた彼に、こっぴどくフラれてしまった女性があまりの辛さに自死を考えたそうです。来る日も来る日も部屋に閉じこもり、食事も摂らず、ただ死ぬことだけを考えていたそうです。そんなある日、自分の爪がとても伸びていたことに気付かれました。その伸びた爪を見た女性は「毎日毎日死ぬことばかり考えていた私なのに、爪は一生懸命生きようとしていた。心臓も肺もすべてのものが私を生かそうと働き通しでいてくれた。私はとんでもないことをしようとしていた。」と気付かれて自殺を思いとどまったそうであります。私たち1人1人まさに不可思議な働きの中に生かされているのであります。


 大勢の方に願い生かされている私。誰にも変わることができない私。私を生かそうとしてくださる不可思議な働き。しかしいつか返さなければならない命。
祖父が仏門に入りこの道こそ進むべき道だと示されたお念仏の道。この道を歩めよと願い続けてくださる先祖の方々。そして釈尊。その思いを胸にお浄土へと続くこの道を歩み続けたいものです。合掌

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