相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『限りなき 弥陀の慈光に 照らされし 共に迎えん 慶びの春』(2019年1月 1日)

限りなき 弥陀の慈光に 照らされし
共に迎えん 慶びの春


 いよいよ本年の5月に元号が変わると言うことでございます。そんな中、平成最後の新年を迎えることができました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 さて、国の行事でもありませんが、つい気になってしまう年の瀬に発表される「今年の世相を表す漢字」ですが、平成30年は「災」という漢字が公募で選ばれました。確かにこの1年を振り返ってみましても西日本の広範囲を襲った大雨、大阪京都を中心に大変な被害を出した台風、そして北海道の地震と大きな災害が頻繁に起こりました。だからといって「災」が日本の世相というのはあまりにも寂しい思いがいたします。確かに災害が多い1年でしたが、災害が起こるたびに地域の方々の努力や協力されておられる姿、自衛隊や警察の方々の復興支援、そして「スーパーボランティア」という言葉もうまれましたが、多くの方々の無償の奉仕活動など人々の素晴らしい、温かい心に励まされた1年だったと思います。


 過去の「今年の世相を表す漢字」を振り返ってみましても、晴れ晴れとした漢字は本当に少ないと思います。逆に「北」「税」「変」「偽」「戦」「末」「毒」「倒」など嫌な漢字が並びます。平成27年は「安」でしたがこれも「不安」から来ているようです。そう考えてみますと世相の問題と言うよりも、私たち1人1人の心が晴れ晴れとしていないからではないかと思い至りました。


 自分のことを振り返ってみましても、いつも不平不満不安の日々を生きているなぁと情けなくなります。平成時代はバブルの崩壊で始まったと先日聞きました。小咄でしょうかバブル時代のトイレの落書きは「休みくれ!」だったそうです。それがバブルが崩壊した途端トイレの落書きが「仕事くれ!」に変わったのだそうです。私もまさに同じです。ここ数年体調が優れないと言うこともありますが、忙しければ忙しいで休みたい休みたいと不平を言い、暇になれば暇になったで何かしなければ何かしなければと慌てふためき不満を漏らします。夜も急に不安になり眠れなくなることが増えました。こんな心持ちでは確かに心晴れ晴れとした気持ちの良い漢字が思い浮かぶわけがありません。


 それでは常に不安な日々を過ごしているかというとそんなこともないなと感ずるのです。「あー有り難いことだ。南无阿彌陀佛」とお念仏がこぼれることもあるのです。「あーそうでありました。このままこのままで良かったのでした。」とお念仏申させていただくこともあるのです。


 明治に活躍された清沢満之というお方は、
「我、他力の救済を念ずるときは、我が世に処するの道開け、我、他力の救済を忘るるときは、我が世に処するの道閉づ。」
「我、他力の救済を念ずるときは、我、物欲のために迷はさるること少く、我、他力の救済を忘るるときは、我、物欲のために迷はさるること多し。」
「我、他力の救済を念ずるときは、我が処するところに光明照らし、我、他力の救済を忘るるときは、我が処するところに黒闇覆う。」
とお示しくださいました。簡単に言いますと、ご信心いただいた日々の暮らしの中では、私に起こる様々な迷い苦しみ不安の種は意味をなさず明るく清々しい日々を送ることができる。逆に如来の本願を忘れて我執にとらわれた日々を過ごしているときには、小さな出来事でさえ私の人生に暗雲をもたらし悩み苦しみ不平不満不安の心が大きくなっていくということになりましょうか。


 禅宗で有名な良寛和尚も、ご自身が災害に遭われたときにいただいたお見舞いのお手紙に対する返信に「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」としたためられました。禅宗のお坊さんでありますが阿弥陀如来の本願を信じておられたお方のお言葉であります。一見投げやりにも見えるお言葉ですが、そうではありません。周りの環境や状況、様々な事柄は刻々と変化していきますがそのような変化に一喜一憂していてはやはり不安な日々を過ごすことになります。ですが阿弥陀如来の本願をいただいた身にとっては、何が起ころうと、どんな状況に立たされようと不安は軽く、生き生きとした一瞬一瞬さえも大事にいただく生活が開けるのだというなんとも前向きな明るいお言葉です。


 親鸞聖人もご和讃において
「一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなうれば
 三世の重障みなながら かならず転じて軽微なり」
とお示しくださっておられます。阿弥陀如来の本願を信じお念仏申させていただける身にとっては、どんな災いもなんら心配することなどなくなるのですよ。」といただけます。

 平成時代が終わろうとしています。平成とは「天地、内外ともに平和が達成される」という意味です。それは1人1人の心が「平らかに成る」という意味にも取れるのではないでしょうか。様々な事柄にいちいち一喜一憂するのではなく、阿弥陀如来の本願のいわれを知り、心平らかに新しい時代を迎えたいものです。合掌

最近の記事

月別アーカイブ