相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『一切皆苦 思いどおりにならない人生 苦しみの連続の人生 どう生きる?』(2018年10月 1日)

一切皆苦
思いどおりにならない人生
苦しみの連続の人生   
どう生きる?      


 この原稿を書いている今日、各地に甚大な被害を出した台風21号よりも大きな勢力を持った台風24号が日本列島を北上しています。沖縄では大きな被害があったようですが、これからどうなるのでしょう。大きな被害が出なければ良いのですが。


 それにしましても今年の夏は大きな被害が日本各地で起こりました。7月頭には西日本を襲った記録的な豪雨によりとくに広島、岡山に甚大な被害をもたらしました。多くの家が山崩れによる土砂災害にあわれ、押しつぶされたり、流されたりして多くの人命が失われました。
9月5日には台風21号が上陸しとくに大阪、京都に大きな被害をもたらしました。関西国際空港の連絡橋には大きな船がぶつかり通行止めとなり、空港内には8000人が取り残されたと報道されていましたし、自転車置き場の屋根が自転車ごと飛ばされていく映像や、車や屋根やプレハブなどが飛んでいく映像には驚きました。
そして明くる9月6日には北海道で起きた震度7を記録した大きな地震の映像にまた日本中が驚いたのではないでしょうか。
いずれのニュースも、観ていて気付いたことがあります。それは皆さん一様に
「まさか」という言葉を使っておられました。


「この辺りは大雨の降らない土地だったし、山崩れの心配も無いとみんな言っていたので安心して暮らしていましたがまさかこんなことになるなんて・・・」


「今日これからハワイに行く予定でした。よくテレビで飛行機が飛ばなくて旅行に行けない映像を見ていましたが、まさか自分の身に起こるなんて思いもしませんでした。」


「東日本大震災や、熊本地震など日本各地で大きな地震災害が起こっていますが、北海道には大きな地震は起きないと信じていました。それなのにまさかこんなに大きな地震が起きるなんて・・・」
私たちはテレビニュースで伝わってくるどんな出来事も、起こってもおかしくはないことだと思いながらも、なぜか自分には起こらないと思いがちです。


 天災ではなく人が起こしたニュースもまさかの連続です。最近では吉澤ひとみさんが飲酒運転の末、2人の方に怪我を負わせた、ひき逃げ事件を起こしました。
昨日のニュースで芸能界引退を発表されていましたが、もはや避けられないことでありましょう。拘置所の中で毎日毎日「まさか自分がこんな事になるなんて・・・」「なぜ私がこんな目に遭わなければならないのだ・・・」などと考えておられたのではのではないでしょうか。


 釈尊の説かれた仏教で説かれる大事なことに、「因果の道理」「因縁」という言葉があります。私の業(行い)、心で思ったり、身体で行動したり、言葉で話したりしたことが、様々な縁に出会うことでそれに応じた結果が起こると言うことです。そしてその結果がまた因となり縁となり自分の身の上に結果として起こってきます。この道理、真理から外れることはないのです。
そして「四苦八苦」「四法印」という大事な真理もございます。釈尊は人生は苦だと申されました。今月の掲示板に書かせていただいた「一切皆苦」とは何事も自分の思い通りにはならないのだと教えてくださいます。生まれて生きていくことは苦の連続です。老いていくことも苦しみですし、病になんか誰もなりたくはありません。そして誰もが皆死んでいく身なのです。おそらくこのことは誰もが理解はしておられることでしょう。しかしなぜかこの本当に大事なことすらも他人事なのです。日々ニュースや新聞記事で多くの方の苦しい闘病や訃報を目にしていながらも、自分はまだ大丈夫だろうとなんの根拠もない自信を持って暮らしているのです。


 蓮如上人は御文の中で「まことにもって人間は、いずるいきはいるをまたぬならいなり」とお示しくださいました。今吐いた息をまた吸えるとは誰も約束されていないのです。その時になってまさかと思っても手遅れではないでしょうか。


 親鸞聖人は正信偈の中で「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言」釈尊がこの世にお生まれになられたのは、ただ阿弥陀如来の私たちを必ず絶対の幸福へすくい取るぞとのお約束を説かれるためです。自分の本質を見つめず、自分の生き方すら大事にしないそんな私たちだからこそ阿弥陀如来の嘘偽りのない真実の言葉を信じなさい。」とお説きくださっておられます。


 私たちは悲しいかないつか必ず死ぬことが約束されています。このことから目を背けることなく、しかし必ず阿弥陀如来にすくっていただけるのだと心から信じることで、毎日に生き生きとした活力が生まれるのではないでしょうか。そしてもしその日が今この瞬間に訪れたとしても、まさかと嘆き悲しみ慌てるのではなく、大きな安心の中にこころ安らかに良い人生であったなと如来の本願に抱かれつつ極楽浄土に往生させていただけるのではないでしょうか。合掌

最近の記事

月別アーカイブ