相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『先祖をご縁に 仏法聴聞し 自分の本質を 見つめよう』(2018年8月 1日)

先祖をご縁に 仏法聴聞し
自分の本質を 見つめよう


 早いもので今年もお盆が参ります。毎年この季節になりますと、幾人もの方から、迎え火や送り火はいつすれば良いのか、精霊棚や馬や牛その他諸々のお盆のお荘厳はどうすれば良いのかという問い合わせがございます。結論から申しますと私たち浄土真宗の宗旨ではそれらは一切必要ございません。ご自宅のお仏壇を綺麗にお掃除し、できたら内敷(うちしき)(三角形の布)をお掛けしてください。


 そもそもお盆(盂蘭盆会(うらぼんえ))は佛説盂蘭盆経(ぶつせつうらぼんきよう)というお経に説かれている内容をいただいて始まりました。釈尊御在世の頃、4月16日から7月15日迄のインドの雨季の間は外に出ないで1箇所にこもり過ごす夏安居が始まりました。夏安居は今の日本でも期間は短くなっておりますがそれぞれの宗派で研修や修行の場として行われております。


 盂蘭盆とはインドのサンスクリット語でウランバナを音写したものです。意訳しますと倒懸(とうけん)といいます。これは逆さ吊りにされる苦しみという意味です。
また、主役は釈尊十大弟子のお一人、神通力第一といわれた目連尊者です。神通力というのは我々には到底見えない遠くが見渡せたり、他人の心が読めたりといった凡夫の思慮では計り知れない不思議な力といわれています。
夏安居期間のある日、目連尊者はこの神通力を使って、今は亡き母がどこでどのような暮らしをなさっておられるのかとお母さんを探してみますと、なんと極楽浄土ではなく、三悪道のひとつ餓鬼道におちて苦しんでいる姿を見つけられました。この餓鬼道というところは生前欲にまみれた生活を送った人が行くところだと説かれています。食べるものは一切なく、仮にあったとしても口に入れようとすると燃えて無くなってしまうそうです。皆飢えに飢えていてお腹にはガスがたまりこの苦しさを倒懸(とうけん)と表現されるのです。


 飢えに苦しんでいるお母さんを見つけた目連尊者は急いで食べるものをお母さんに渡します。お母さんは喜んでその食べ物を受け取り口に運ぼうとしますが、その瞬間パッと燃え尽きてしまい一切口に入れることができません。その姿を見て嘆き悲しむ目連尊者は一度釈尊の元に戻りどうすればお母さんを救うことができるのか尋ねられました。
釈尊の答えは「そなたの母の罪は大変重く、そなた一人ではなんともしがたい。7月15日の自恣の日(夏安居期間の反省懺悔をする日)にすべての僧侶達にそなたのできる限りの振る舞いをしなさい。」と説かれました。布施の行です。
このことを実践すると餓鬼道で苦しんでいたお母さんがすくわれたと説かれています。


 目連尊者のお母さんはなぜ欲にまみれた人たちの行く餓鬼道におちたのでしょうか。目連尊者としては納得ができなかったことでありましょう。目連尊者のお母さんは我が子のためならどんな苦労もいとわない優しい方だったようです。食べるものが少ないときには自分は我慢して我が子に与えたでありましょう。ある日一杯の水を分けてくださいと訪ねてきた旅人がいたそうですが、我が子に飲ませる水だったので、うちにもお水はありませんと嘘をついて断ったこともあるそうです。釈尊はそなたの母は優しい人であったがそれはあくまでもあなた一人に向けた優しさだったのだと説かれるのです。これはやはり欲望です。


 このお経が元となり浄土真宗以外の宗派では施餓鬼法要(せがきほうよう)という行事が行われるようになりました。餓鬼に施すという意味です。
迎え火とは餓鬼道におちた先祖を迎え入れるということです。送り火はまた戻っていただくということです。自分の大事な方が餓鬼道にいると考えているのでしょうか。親鸞聖人が悦ばれ、私たちにも説いてくださった阿弥陀如来の本願は、本来そういう餓鬼道や地獄におちてしかるべき私たちを哀れんで極楽浄土を建立し必ずすくうと誓ってくだされているのです。私たちは必ずお浄土に往生させていただけるのです。大切な先祖の方々も皆さん極楽浄土におられます。ですから私たちは迎え火や送り火、牛や馬などは必要としないのです。


 ですが、お盆を通して先祖の方々の願いを聞かせていただくこと、そしてその願いをご縁に仏法聴聞をし我が心の本質を見つめることは大事なことです。
目連尊者のお母さんのように自分さえよければいい。我が子さえ幸せならそれでよい。人様がどうなろうと知らんぷりという心は誰にでもあるのではないでしょうか。お墓やお仏壇に先祖の方々が好きだったという理由でお酒やお菓子や様々なものをお供えするのもよいですが、本当に先祖の方々が喜んでくださるのは先祖の方々をすくってくださった阿弥陀如来の本願を聴かせていただくことではないでしょうか。目連尊者のお母さんは私の心にある欲にまみれた根性を教えてくださるために、仮に餓鬼道におちて苦しんでくださったのかもしれません。


暁烏敏という先生がこんな詩を遺してくださいました。
「餓鬼どもが 餓鬼に施こす 盂蘭盆会」なんともドキッとさせられるお言葉であります。合掌

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