親鸞は弟子一人ももたずとこそ おおせられ候いつれ
聖人は御同朋 御同行とこそかしずきておおせられけり
先日、夕食を終えテレビをつけますと「日本理化学工業」という会社の特集が組まれていました。この会社のお話しは先代から何度も聴かされておりますし、法話の中でも触れておりますので、途中からではありましたが興味深く拝見させていただきました。
この会社はチョークをはじめとする文房具や事務用品を製造販売する会社なのですが、知的障害者の雇用に力を入れておられることが特に知られている会社です。知的障害のある方を雇用しておられる会社はたくさんあるようですが、日本理化学工業さんは全85人の社員のうち実に70%が知的障害者の方で、しかも会社としてちゃんと利益を出しておられる実に希な会社なのです。
現会長の大山泰弘さんがお父さんの手伝いで入社して3年ほど経ったある日、知的障害者の養護学校の先生が生徒を就職させてもらえないかということで訪ねてこられました。その時のことを「1959年に知的障害者の通う養護学校の先生が飛び込んできました。聞けば翌年卒業する子の就職依頼でした。僕は門前払いのような感じでお断りしました。」と仰っておられます。
それでも先生は諦めず3度も大山さんの元を訪ねられ「子どもたちは卒業したら地方の施設に入ります。そうしたら働くことを知らずに一生を終えます。もう就職はお願いしませんから、働く経験だけさせてもらえませんか?」と言われたのだそうです。そこで不憫に思った大山さんは2週間の約束で2人の女子学生を受け入れました。
与えられたラベル貼りの仕事を一心不乱に頑張る彼女たちの姿を2週間、間近で見ていた社員達から「自分たちが面倒を見るからどうか彼女たちを雇ってあげてください。」という声があがり、大山さんは2人を雇用しました。
そんなある日知り合いのご法事で、たまたま隣に座っておられた禅僧の住職に「施設にいて3食付きの暮らしほうが幸せなのに、どうして彼女たちは毎日、満員電車に乗って会社に来るんでしょう」と尋ねられました。するとそのご住職さんは「人間の究極の幸せは、愛されること、褒められること、役に立つこと、人に必要とされることの4つです。愛されること以外は働いてこそ得られます。」と仰いました。
その話しに大山さんは「人間の幸せをかなえられるのが会社なら、知的障害者を一人でも多く雇用しようと考えるようになりました。」と仰っておられます。
知的障害者と一言で言ってもその症状は様々です。一人一人みんな違うわけです。仕事を与えてもできる人、できない人。おっとりした人、怒りっぽい人。材料を量れない人もいます。文字が読めない人もいます。パニックで暴れ出す人もいます。それでも大山さん達はじっくりと考え、その人その人に合った仕事の方法を考えていかれます。赤いチョークを作るときは赤いおもり、青いチョークは青いおもりで計る。木枠にピッタリ収まるものは製品として出せる。収まらなかったり、木枠から落ちてしまうものは出荷してはいけない。等々様々な方法でみんなが与えられた仕事を精一杯できる方法を考えていかれたのです。
そのことにより彼らは初めてかもしれません。人から褒められ、人の役に立ち、人から必要とされることを感じ、幸せにつつまれる喜びを感じられたのでしょう。大山さんは。「週に1回の失敗が2週間に1回になれば、成長したということです。5年もすれば失敗しなくなります。」と仰います。当然仕事ですしお客さんが喜ぶ商品を出すことが大事です。ですから商品や仕事に関しては厳しい目で見ておられますが、それ以外ではとても優しい姿勢で接しておられます。社長と社員ということを超えて、まるで親子のように接しておられるのです。だから彼らも本当のお父さんのに対するように接し、家族が離れないかのようにみんな驚くほど長い年月、日本理化学工業でお仕事をなさっておられます。
ご住職さんは「愛されること以外は働いてこそ得られます。」と仰いましたが、大山さんの元、愛も仕事を通して育まれると証明されておられます。
みんなそれぞれ考え方や能力は違います。釈尊がその人その人お一人お一人に合ったお話しを説いてくださった対機説法のお話しに通じます。あの人ができるならお前もできるだろうということでは決してないのです。
今月の掲示板のお言葉は蓮如上人の書かれた御文第一帖第一通から抜粋させていただきました。親鸞聖人はどんな人と接せられるときも偉ぶったりせず、自分の考えたことを人に教えているわけではなく、阿弥陀如来が私を救ってくださるということを有難く思い、信じ、ただそのことを縁のあった方々にお伝えしているだけなのですよ。ですからこの人は私の弟子です。などと言えるわけもなく、みんな阿弥陀如来の教えをよろこぶお仲間であり、お友達なのです。というお気持ちでお暮らしになり、御教化されておられたのです。聖人と出会われた方々は究極の幸せにつつまれていたのだろうと信じます。
今、世間で話題になっている日大アメフト部の問題も、私なりに思うのは、タックルをした彼も「監督に褒められたい。監督の役に立ちたい。監督から必要とされたい。そして監督から愛されたい。」とそれだけを思い続けていたのではないでしょうか。もし、監督やコーチに大山さんのような競技に対しては厳しい目で育てるが、一歩グランドを出れば慈しみの言葉や態度で接することができたなら、聖人のような御同朋御同行の気持ちで接することができたなら、このような事件は起こらなかったのだろうと残念に思います。合掌