相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『大いなる 願いの中に 賜りし 無量の寿(いのち) 深く味わん』(2018年1月 1日)

大いなる 願いの中に 賜りし
無量の寿(いのち) 深く味わん


 住職を継職して最初の修正会をお勤めさせていただいてから1年が過ぎ、2度目の修正会を迎えさせていただきました。不思議とこの1年あっという間に過ぎてしまったという感と、ようやく1年が終わったという感と両方同居した感じの1年でした。


 この1年を通じて去年の修正会や定例法話などでも何度もお話しさせていただきましたが「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」という教行信証(きょうぎょうしんしょう)の結びのお言葉を心に深く刻んで歩んでまいりました。先に生まれた者、先にご信心いただいた者は、後に生まれてきた者、いまだご信心をいただいていない者を導きなさい。後に生まれた者、いまだご信心いただいていない者は先に生まれ、先にご信心いただいた親や先祖、宗祖親鸞聖人をはじめたくさんの善知識(ぜんちしき)の皆さんから教えを請いなさい。という意味です。


 この1年を振り返ってみますと、多くの方々に「後に生まれん者は前を訪え」というお言葉を特に力を入れて説いてきたように思います。簡単に言ってみれば、今ここに自分があることの有り難さを思い親や先祖を大事にそのお心をいただきなさい。というようなことであります。昨今の家族制度や親子の関係を考えるになんとも寂しい出来事が多く感じられ、そのことを伝えることに力が入ったように思います。
では、自分自身はどうだったでしょう。「後に生まれん者は前を訪え」よりもむしろ「前に生まれん者は後を導き」と言うことばかりに考えがいってしまい、行動もそれに準じていたように思います。


 この1年は住職を継職させていただいたという大きな出来事もありましたが、私的なことでも重要な出来事や、大きな変化がありました。子供たちの大学受験と進路では真剣に悩みましたし、母の肺の病気があまり良くないことから、すきま風の多いお寺よりは温かい場所が良いとのことで、療養のための本格的な引っ越しがあったり、その他にも様々な変化がありました。


 なかでも子供たちの進路を考えるにあたり、また子供たちも含めて家族のあり方を考えていくにあたり、なんとか良い方向に導かなくてはならないとそればかりが頭の中を埋め尽くし、それが焦りとなり身勝手な振る舞いが多かったと年末になってようやく気がつき反省の日々を過ごしました。
「お寺の跡取りとしてこの大学に入り学ばせていただくことがお前にとって一番良いことなのだ。」「大学を出たら御本山で奉職させていただき学ばせていただくことがお前にとって最も良いことなのだ。そのためにもこの大学が良いのだ。」「家族とはこうあるべきだ。」「こうあることが家族を成り立たせるのだ。」小さなことを書き出したら用紙がいくらあっても足りません。私自身が親の教えを聞かずにやりたいように振る舞ってきましたのに、我が子にはなにがなんでも自分の考え通りの道を歩まそうと相手の話も聞かず躍起になっていました。これは「先に生まれん者は後を導き」でもなんでもなく、ただの押しつけであります。


 子供だけではなく、親や兄弟、周りの方々に、身勝手に自分の考えを押しつけ、格好つけよう尊敬されようと偉ぶった行動をとり続けてきました。自分のこの身さえ思いどおりにならないと分かっているはずなのに、人にあれこれ指図する浅ましい私でありました。


 親鸞聖人の御著書「末燈鈔(まっとうしょう)」に法然上人からお聞かせいただいたお言葉として「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」とお示しくださっておられます。「愚者になりて」とは自分の欠点や失敗ばかりの人生をそのままに認めて受け止めていくことでありましょう。自分の愚かさをほとほと思い知らされたところにいよいよ阿弥陀如来の本願が頼もしく思われるのでありましょう。では私はどうかというと、欠点を認めず、失敗は他人の責任にすり替え、その上で自分を飾り立てて他人に偉ぶった姿を見せつけ、挙げ句指導しようとまでするのです。振り返ってみますと傲り高ぶった行動ばかりの真に恥ずかしい限りの私であります。


 浄土真宗のお坊さんではありませんが、臨済宗の良寛さんは、お師匠さんから「大愚(たいぐ)」という号をいただいた人であります。良寛さんは
「おろかなる 身こそなかなか うれしけれ 弥陀の誓いに あうと思えば」
という詩を詠まれました。背伸びするでもなく、飾り立てるでもなく、自分の心に嘘をついたり、偉ぶるのではなく、自分の本質から目を背けず愚者となって往生させていただく人生を歩まれたのであります。
 
本年は、去年1年のテーマ「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」そこに「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」このこともよくよく心して歩みたいものであります。合掌

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