相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『人間はただゆめまぼろしのあいだのことなり 後生こそまことに永生の楽果なり』(2017年3月 1日)

人間はただゆめまぼろしのあいだのことなり
後生こそまことに永生の楽果なり 蓮如上人


 去る1月27日、父の実兄で荒川区金相寺の先代住職、成田宣雄さんがお浄土に還られました。80才でした。
通夜葬儀は御自坊で2月2日、3日で執り行われ、たくさんのご門徒さんや仲間の僧侶の参詣をいただき滞りなく勤められました。


 おしゃべりが好きな方で、本弘寺の法要に来てくださったときも、誰よりも話しをされて皆を楽しませてくださいました。
毒舌な話し方で面白おかしく話しをしてくださるかたでしたが、母が入院したりすると直筆のお見舞い状をくださる心配りの細やかな方でありました。


 火葬場でお骨を拾う最中、父が「あーお骨になっちゃったなー」と寂しそうにつぶやいておりました。
亡くなったとのお知らせをいただいてお参りさせていただいたときには、ずいぶん痩せてしまわれていましたがやはり伯父の姿をされておられますから、お経を教えていただいたときのことや、大きな声で楽しそうにお話しなさっておられたお姿などが思い浮かび、寂しい、悲しい、でも楽しかったななどと様々な思いに駆られたりしましたが最後にはただただありがとうございましたの気持ちでした。しかしお骨だけになってしまわれると、私もなんとも表現のしようもないそれこそ「あーお骨になっちゃったな・・・」という思いでいっぱいでした。


 伯父がお浄土へ還られた同じ頃、昭和を代表する映画俳優がお亡くなりになりました。
そうか亡くなられたのかと思いつつ情報番組を観ていますと、亡くなられた俳優さんを実の弟のように思い、仲良く付き合っていたという俳優さんがインタビューに応えているシーンが映りました。そのインタビューで火葬場も同行した彼は「骨だけがバラバラになって出てきた。」「悲しかった。人間ってこんな簡単なものなのかと思いました。」「人間死んだら終わりだ。何も残らない。」と話されていました。悲しみの底から出たお言葉だったのでしょう。


 その時、私はこの「人間死んだら終わりだ。何も残らない。」という言葉に引っかかりました。そこでこの俳優さんはどういう人なのか少し調べたのです。どのような宗教を信じていらっしゃるのかとくに知りたかったのです。
結果、宗教はわかりませんでした。検索から出てくるのは若かった頃の武勇伝のようなものばかりで、昭和の成長期に映画俳優として成功し、大金持ちとして遊び暮らしていたようなことが検索結果にたくさん出ていました。一晩で2千万円もの豪遊をしたりなんてことまで出ていましたから、私には想像もつかない生活です。


 ここからは私の勝手な憶測で、この俳優さん方のことを特定した話しではありませんが、お金に不自由なく自由な思いのままの生活には価値観がどうしてもお金や趣味や遊び、友達などに重点がいってしまうのかもしれません。


 私たちは仏教の説く人間道というところで日々生活しておりますが、私たちよりもよほど様々なことが思いどおりになり、我々のような悩みや苦しみなども比べようもないほど少なく日々面白おかしく暮らせる世界があるそうです。これを仏教では天上道といいます。しかしここも実は迷い苦しみの絶えない六道の中なのです。人間道で暮らしている私たちは生前の行いによって地獄や餓鬼や畜生などと言われる世界に墜ちると仏教は教えます。天上道も六道ですから輪廻の世界から逃れることはできません。私たちよりも長生きだそうですが、死はやはり訪れます。そうなると当然面白おかしく日々暮らしてきた彼らはその業により地獄道や餓鬼道、畜生道という迷い苦しみの多い世界に墜ちることになります。これが猛烈に恐ろしくて、泣き叫び身体からも異臭を放つそうです。そのような暮らしの最後に「死んだらおしまい。何も残らない。」という気持ちになったとしても何も不思議はないと思うのです。
蓮如上人の電光朝露の御文に「まことに、死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。」とお示しくださっておられる通りだと思います。


 では伯父の場合はどうでしょう。確かに「あーお骨になっちゃったな」とは思いましたが、何も残っていないとは思わないのです。伯父は面白おかしい話しが好きで冗談ばかり言っておられる方でしたが、誰よりも阿弥陀如来の本願を信じておられた方でした。お浄土に往生させていただくことに一片の疑問も持っておられませんでした。ご親族も最後は可哀想だったと仰っておられました。確かに生き生きと溌剌とした伯父の姿が日に日に衰えていく姿を近くで見守り、看病してきた親族としての当然の心だと思います。ただ伯父自身はそれを悲しんではいなかったように思うのです。自分の死を正しく見つめながら、お念仏と共に歩んでいらしたの最後の日々だったと確信しているのです。食事も取れない歩くこともできない最後だったようですが、ただただ阿弥陀様にお任せの最後の日々だったと思うのです。
御傳鈔の「聖人弘長二歳 壬戌 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。自爾以来、口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しこうして同第八日午時、頭北面西右脇に臥し給いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ。」この風景が伯父と重なって見えるのです。


 こういう生き方をした方の周りにいる私たちは、「お骨になってしまわれた」という目の前の現実にそう感じますが、それだけではなく今まさにお浄土へ往生されて、仏となり、いつ如何なる時も私たちを案じ、見守ってくださるお姿が目に浮かぶのです。当然寂しくもありますが、心強くも感じています。そしてそのような伯父に恥ずかしくない生き方をしようと思うのです。合掌

最近の記事

月別アーカイブ