相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『あなたは何を頼りに 生きていますか? それは如何なる時も 力になってくれますか?』(2016年9月 1日)

あなたは何を頼りに 生きていますか?
それは如何なる時も 力になってくれますか?


 人生は、仕事は順調、人間関係もすこぶる良好、家庭も円満、何をやっても上手く事が運び、楽しく過ごせるときもありますが、会社が倒産し仕事を失ったり、突然病に倒れたり、人間関係がこじれたり、何をやっても上手くいかず悩み苦しむときもあります。
人生は自分の都合に合わせて動いてはいませんので当然のことなのです。
人はよく健康でさえあれば、金さえつかめば、権力さえ得れば幸せだといいますが、本当にそうなのでしょうか?


 以前、墓参りに来られた方なのでしょう。寺のお手伝いさんに「マッチを貸してください。持ってきたライターがつかないの。」と言う甲高い女性の声が聞こえてきたのです。なんでもない会話ですが、その女性が「持ってきたライターがつかないの」といわれたことに私は深く考えさせられたのです。
この方は墓参りをしようとお花とお線香を用意し、ライターを持ってこれで良しと思って墓参りに来られたのでしょう。
しかし、お線香に火をつけようとしたらライターの火がつかなかったのです。ライターが役に立たなかったのです。
私たちの人生もこれとよく似ているなと考えさせられたのです。


 健康が一番だ。お金があれば。権力さえつかめば。と言いますが、健康は必ず損なうときがあります。お金や権力のために泣かねばならなかった人は後を絶たないではありませんか。
私たちが頼りにしている健康やお金や権力などは、残念ながら必ず崩れ、失うときがあるのです。そうしたものは本当に私の人生に頼りになるとは言えないのです。
それでは何時でも何処でも如何なる時でも頼りになってくれるものはあるのでしょうか?


 病院に入院されてない限り欠かさず日曜礼拝に参詣くださる森山さんという方がおいでになります。森山さんは印刷業を営んでおられましたが、50歳の時に病に倒れ、事業も断念し、離婚も余儀なくされ、それからの人生で8回も9回も生死をさまよう手術を繰り返されたというのです。
そんな森山さんが初めて日曜礼拝に来られたときは、言葉が言葉になっておられませんでしたが、徐々に発音も良くなり毎週の日曜礼拝には誰よりも早くみえられ、参詣されてこられる方々に誰よりも大きな声で「おはよう!」と挨拶をなされ、誰からも愛され、森山さんがいないと皆が寂しい思いで心配をするようになりました。


 そのような中、5年前また倒れられ救急搬送された病院では手の施しようがないと言われ、北里病院に運ばれましたが北里病院でも無理と言われたのですが嬉しいことに回復をされたのです。
退院した日も家に帰らず先ず寺に元気な声で来られたことが昨日のように思い出されます。


 今も毎週日曜礼拝に誰よりも早く顔を出され、誰にでも大きな声で明るく「おはよう!」と声をかけられるのです。
ここ1年は毎週ご自身が創られた詩や俳句や川柳を日曜礼拝後の座談会で披露されるのです。仏法を味わえないと作れない詩が多いのです。
日曜礼拝に参詣くださる同朋の藤中さんが、こんな素朴で細やかで優しさにあふれた作品が散逸されては勿体ないと立派な詩集に仕上げてくださいました。紙面の都合で作品の内容を紹介できないことが残念です。


 森山さんの姿を通し、人間は病気で死ぬのではない。年齢で死ぬのでもない。事件や事故で死ぬのでもないと言うこと。そして森山さんは経済的にも環境的にも恵まれているとは言えません。むしろ誰よりも大変だと思われるのですが、何時でも何処でも誰にでも「感謝、感謝です。仏様と何時でも一緒だもの。なんの不安も心配もありません。有難い。有難い。」と明るく話される姿に教えられただただ頭が下がるのです。


やはり人生に本当に頼りになるものは阿弥陀如来の本願に出会うことでしょう。阿弥陀如来と共に歩むという信心が一番頼りになると教えられました。合掌

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