相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『金にとらわれ 愛にとらわれ 権力にとらわれ 立場にとらわれる そのとらわれの心が 迷い 悩み 苦しみを生む』(2016年6月 1日)

金にとらわれ 愛にとらわれ
権力にとらわれ 立場にとらわれる
そのとらわれの心が 迷い 悩み 苦しみを生む


 人はお金のこととか、人間関係、健康問題等様々な面で悩み、迷い、苦しむことがありますが、そうしたときどのように問題を解決しますか?
人によってはお祓いによって邪気を払おうとしたり、占いによって問題を解決しようとしたり、水子や先祖の霊の祟りと言われ、先祖供養をすることで解決しようとするようです。先日も新聞の人生案内に、占いに頼ってしまう弱い自分をどうしたら良いのかとご相談なさる女性の相談が載っていました。


苦労はしたくない。楽をしたい。
損はしたくない。得をしたい。
都合の悪いことは嫌い。都合の良いことを求めようとする。


このようなことが人間の本当の心でしょうか。なにがなんでも楽をしたり、得をしたり、都合の良いことを求めるとするなら、大災害が起こるたびに被災生活を送っておられる人々の力になりたいと多くのボランティアの方々が現地に入り、大変なご苦労をなされますが、あの方々の姿はどう受け止めたら良いのでしょうか。


 私は人間の心は浅い心と深い心があると思うのです。浅い心はなんにしろ楽をしたい、得をしたい、都合の良いことを求めたい。そのためにはお祓いや占い、あるいは六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)等に頼ろうとする心であります。


深い心には二面あると思います。
一面は意義があるならどんな苦労も惜しまない。損をしても、どれだけ都合が悪かろうと構わないという心です。災害の被災者や困っている人を見るとなんとか力になりたいと骨身を惜しまず励まれる人がいますが、まさにそうした人の心こそ深い心だと思います。


深い心のもう一面は、真実を見る心だと思います。人生のすべてのことは「因(直接の原因)+縁(種々な条件)=果」という因縁果の法則を離れることはないのです。ですから人生から四苦八苦を逃れることはできないと見ることができるのは真実を見る心があるからでしょう。


ですから釈尊は「人生は苦である」とおっしゃったのです。世の中の聖人君子で人生は楽であると言われた方を私は知りません。皆が苦しみだとおっしゃいます。
なぜ人は苦しむのでしょう。それは我執であると釈尊は説かれました。執着心です。お金に、愛に、権力に、社会的立場にとらわれる。すべては自己中心という自分が大切という自分にとらわれるからでしょう。


 執着心を捨て去ることは大変難しいことでありますが、仏法聴聞を深める中に自分という存在がどういう存在であるか自覚されてくるのではないでしょうか。あらゆるお陰の中に生かされ、多くのご恩の中に生かされていることを知って、なにかにつけとらわれの心で生きている自分を恥ずかしいと知ることが大切だと思います。


 越後の曹洞宗の僧、良寛さんが子供達と手まりや隠れん坊などで童心にかえって時の経つのも忘れて遊ぶ姿はとらわれの心が無いからなのでしょう。
その良寛さんは「災難に遭うときは災難に遭うが良く候。死ぬる時節には死ぬるが良く候。これ災難を逃れる妙法なり。」とおっしゃいました。
この心が深く味わえたなら、占い等に頼らずとも、何があろうと力強く生き抜く力が湧いてくると思います。合掌

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