相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『自分が正しいと 我を張れば 相手は意固地になり 争いは絶えない』(2016年4月 1日)

自分が正しいと 我を張れば
相手は意固地になり 争いは絶えない


 今、世界各地がテロの脅威に脅かされています。イスラム過激派組織イスラム国によるテロや、その報復が相次いでいます。フランス・パリでの同時テロ、トルコ・イスタンブールでの自爆テロ、ベルギー・ブリュッセルでの連日のテロ事件で死傷者が大勢でました。悲しいことです。
また、北朝鮮の核ミサイルの脅威が日米韓の大きな問題となり、戦争にまで拡がるのではという不安をかき立てられます。
国内に目を向けても、何日にもわたった大々的な反対デモが行われても安全保障関連法が成立し2度と戦争をしないと誓った日本が戦争に巻き込まれるのではと多くの人が憂いています。
社会問題としても暴力団組織の山口組が分裂し山口組と神戸山口組の抗争が社会の不安をあおっています。
私の身の回りでも、いじめの問題、経済不安、老後の問題等種々な不安を皆が抱えてなんとかならないものかと悩んでいます。安らぎの世界はどこにあるのでしょうか。こうした虚しい、やりきれない不安な気持ちはどうしたら良いのでしょうか。


 以前、寺の掲示板に「自分が正しいという前提で人と議論をしても 相手の意見は耳に入らぬ」という言葉を掲示したことが思い出されました。
俺が、俺我と、俺が正しいと強く我を張れば素直に他人と話し合うことはできないと思います。仏教では我と他彼と此の2者が対立をし、互いに相手を批判、非難し、いさかいやもめ事が絶えないことを「我他彼此」(がたひし)と言います。立て付けが悪く戸や障子がうまく動かないことを「がたぴし」といいますが、この我他彼此から来ているのだそうです。
がたぴしは酷くならない内なら修繕できますが、酷くなると壊す様になりますので早く直した方が良いのです。
我と他人、あちらとこちらと互いに批判、非難が酷くなる前に、お互いに我を張らずに相手の立場、考えを受け入れることが大切なのでしょう。


 歎異抄の第五条の「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。」と言われた親鸞聖人のお言葉が思い出されます。このお言葉を味わいますと、人は皆いずれの生における親であり、兄弟ですからいがみ合うことはないのです。
釈尊は生きとし生けるすべてのいのちはみな仏性を具えた尊い存在なのですよ。自分のいのちが大切なら、他のすべてのいのちもみな等しく尊いのです。と、右手で天を左手で地を指さし、「天上天下唯我独尊」と叫ばれたのです。


 天上天下とは広い宇宙全体をこのように表現したのであり、唯我独尊とは我一人が尊いのだというような傲慢な心ではなく、
唯我とは誰彼と比較する必要もないし、誰かに変わってもらうこともない唯一の私と言うことでしょう。
そして独尊とは我は何かと比べるものはまったくない尊い存在。つまり仏のいのちを言うのでしょう。
ですから天上天下唯我独尊とは、この世に存在するすべてのいのちは、みな仏性を具えた、仏になり得る尊い存在ですということであります。


 この釈尊の教えが世界に弘まることができれば、テロもない、争いもない、いじめもない平和な安らぎのある明るい社会が実現されると思うのであります。合掌

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