相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『自分の本質に気付き 分をわきまえ 背伸びすることもなく 卑下することもなく 自分らしく生きる』(2016年3月 1日)

自分の本質に気付き 分をわきまえ
背伸びすることもなく 卑下することもなく
自分らしく生きる


 先日、アメリカ人が遊びに来られ、高校生と中学生の私の孫に英語で話しかけ、孫達は片言の英語でなんとか返事をしようと頑張っていました。
このアメリカ人はハワイで日本人の両親の元に生まれた日系2世なのですが、ハワイという英語環境で生まれ育てられたので、英語でしか話しができないのです。
その時思いました。私が今日本語を何の躊躇もなく話しているのは、私が日本に生まれ日本語を話す環境の中で育てられたからであります。私が産まれてすぐ、何らかの事情でアメリカに移住することになりアメリカ人に育てられれば私は流暢な英語を今頃話しているだろうと思うのです。


 このことは人間は、誰によってどんな環境の中で育てられたか、どこの言葉で育てられたかによって大きく異なってくると言うことでしょう。言葉だけでなく人間の性格も思想も、環境や文化、教育によって大きく異なってくるのです。このことは大事なことだと思います。


 私の友人が買い物袋を下げて帰ってきたとき、買い物ですかと問うと、昨日テレビでワインが身体に良いと言っていたのでワインを買ってきたと言われました。テレビで言うことは何事も真に受けて少しも疑おうとはしない。まことに素直に鵜呑みにしてテレビで言っていたからとその通りに行動するのです。まさに現代人はテレビの言うことを聞かされて育てられているようです。親の考えや先生の言うことは聞かなくとも、テレビの言うことにはすぐに反応するのです。


 とあるテレビ番組を観ていましたら、日本の歴史のことで今まで学校や書籍や親などから教えられてきたことに疑いもなかったのですが、それは間違いだと指摘されたのです。
信長、秀吉、家康の中で誰が一番気が短いかという問いが出されました。


鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス(信長)
鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス(家康)


3人の性格をこのように聞かされてきましたので、信長が一番気が短いと思っていましたが、そうではなく種々な文献を調べると家康が一番短気だと言われるのです。テレビでそのように言われると、あーそうなんだと鵜呑みにされる方が多いようです。テレビの声を鵜呑みにして生きる現代人はこれからどうなるのでしょうか。テレビ人間で良いのでしょうか。先生や先輩、そして両親の言われることをもっと素直にしっかり聞こうとする姿勢が必要であり、大切なのではないでしょうか。


 そして最も大切なことは悔いのない悦びの人生を歩もうと思うなら阿弥陀如来の声を、仏法をしっかり聞かせてもらうことです。
親鸞聖人は正信偈の中に


如来所以興出世 にょらいしょいこうしゅっせ
(釈尊がこの世に現れた根拠は)
唯説弥陀本願海 ゆいせつみだほんがんかい
(ただただ阿弥陀如来の本願を説くためです)
五濁悪時群生海 ごじょくあくじぐんじょうかい
(世の中の5つの汚れが現れて悪い世の中に生きる煩悩だらけの衆生は)
応信如来如実言 おうしんにょらいにょじつごん
(まさに阿弥陀如来の南無阿弥陀仏の御言を信ずべきであります)


と、釈尊が阿弥陀如来の本願の教えを身をもって証明してくださったことに深く感動されてこのようにうたってくだされたのであります。
阿弥陀如来の声を聞くと言うことは阿弥陀如来の本願(まことの願い)を心に深く受け止め、阿弥陀如来と共に生きるということです。それこそが念仏であります。
念仏、文字で書けば南無阿弥陀仏ですが、声に現れればナンマンダブツ・ナンマンダブツであります。その念仏はテレビ等に惑わされず、自分の本質に気付き分をわきまえ、そのままそのまま背伸びもせず、卑下することもなく自分らしく生きろよとの如来の励ましの言葉なのです。そうしたお前を必ず救うぞ。見捨てはしないぞと誓ってくださるお言葉なのです。その念仏がこぼれますと人間として生きる大きな安らぎと悦びが味わえるのであります。合掌

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