相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『賜った尊い人生 平穏に生きるには? 仏の願いに生きることです』(2015年9月 1日)

賜った尊い人生
平穏に生きるには?
仏の願いに生きることです


 釈尊は人生の一切の苦しみを総括して「四苦八苦」と説かれ、人生は苦なりとおっしゃいました。確かに深く頷けるのでありますが、人生には楽しいことも嬉しいこともいっぱいあります。
旅行に出て新しい何かに出会うのも楽しい。友と酒を交わし人生を語るのも楽しい。家族が仲良く食卓を囲み団欒が出来ることは嬉しいことですし、趣味の世界に没頭できるのも嬉しい。
こうして楽しいこと、嬉しいことがあるから苦しみや悩みにも耐えて乗り越えてこれたのでしょう。


 人生は楽しいことや嬉しいこと、苦しいこと、悩み事が常に相対的な関係にあって逃れることが出来ないのでありますが、だからこそ良いのだと思います。
曽我量深先生が「人生の苦しみは全て如来の激励である」とおっしゃいました。確かに楽しいとき、嬉しいときはあまり人生を考えようとはしませんが、苦しみ、悩みを抱えますと、私は何の為に生きるのだ。苦しみながらなぜ生きねばならないのか。私の生きる目的は何であろうかと問わずにはおれなくなるのではないでしょうか。


奇行に富み、飄逸な人生を送られた臨済宗の一休さんは「世の中は 稼いで喰って寝て起きて さてその先は 死ぬるばかりよ」と詠われ、さして人生に目的はないと詠われましたが本音でしょうか。そして死にとうない。死にとうない。と言いながら座ったまま死んでいかれたそうです。


作家の五木寛之さんは、人生に目的はないと言われる。何十年も考え続けてきた末にそのように思うようになったと言われる。人生に万人共通の目的などと言うものはないと五木さんは言われる。そうなのでしょうか?


京セラの会長、稲盛和夫さんはNHKの心の時代で何の為に生きる?と言う問いに対して、「心、魂を磨く為です。」と答えられました。
法句経の七佛通戒偈には、
諸悪莫作(諸々の悪はしてはいけません)
衆善奉行(衆の善いことはしなさい)
自浄其意(自らその心を浄くしなさい)
是諸仏教(これ諸仏の教えです)と説かれています。
稲盛和夫さんがおっしゃる、また、法句経の七佛通戒偈が教えるところの心を磨く、心を清らかにするにはどうしたら良いのでしょうか?ことわざにも「三つ子の魂百まで」とありますがどうなのでしょう?


 私の知人に3年間の癌との闘病の末70才で亡くなった男性がいます。この方は夫婦2人の生活でしたが、生きるということ、死ぬということ、悔いのない人生を夫婦で良く語り合い、仏法聴聞にも励まれ、穏やかな生活をされていましたが、亡くなる前の3ヶ月はイライラされ通しであったそうです。奥さんが心を丸くしましょうよ。穏やかにしましょうと言い聞かせ、手を合わせて頼んでもイライラの心はおさまらなかったそうです。何か深く考えさせられました。


 私は人生の生きる目的は三帰依文の中に答えがあったと今味わっています。
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。 ~中略~ 無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。我いま見聞し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。」
何遍も口ずさむ中に私にとって人生の生きる目的は聞き難い仏法を聴聞させていただき、阿弥陀如来の真実義(本願)をいただくことであります。親鸞聖人も「難思の弘誓は難度海を度する大船」とおっしゃいました。思いはかることのできない阿弥陀如来の本願は荒波の人生をものともせず安心して渡らせてくださる大船であると言われるのであります。私にとって阿弥陀号という大船に乗せていただくことが人生の目的であります。合掌

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