相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『私のいのちも あなたのいのちも あらゆるいのちは 佛のいのちを具えた 尊い尊いいのちです』(2015年4月 1日)

私のいのちも あなたのいのちも あらゆるいのちは
佛のいのちを具えた 尊い尊いいのちです


 お釈迦様はご誕生あそばされますと、七歩あゆまれ右手で天を指さし、左手で地を指さし「天上天下唯我独尊」と発せられたと今に伝えられています。これをお釈迦様の誕生偈と申しますが、お釈迦様がどれだけ立派な偉大なお方でも、お生まれになってすぐに立ってお歩きになったり、蘊蓄のあるお言葉をおっしゃることが出来たでしょうか。そのようなことを鵜呑みにされる方はおいでにはならないでしょうが、そうしたことを問題とせずにお釈迦様がお生まれになってから今に至るまで2500年もの長い間大切に伝えられ、4月8日には全国津々浦々で誕生仏に甘茶をおかけし、お釈迦様のご誕生をお祝いされる「花まつり」が行われるということはそれだけ深い理由があるのでしょう。


 誕生仏に甘茶をおかけするのは、お釈迦様がご誕生されますと2頭の竜が現れ、甘い雨を降らせて体を清められたと伝えられることによります。
七歩あゆまれたということは、人は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道という迷いの六道を超えて悟りの境地に至ることが出来ることを意味しています。
「天上天下」とは、天の上、天の下ということで広い宇宙全体を表し、「唯我独尊」とは文字通り解釈すれば「ただ我一人尊い」と大変傲慢なことになりますが、そうした己惚れの心ではなく「いのちあるものは全て他と比較する必要のない"ほとけのいのち"を具えた尊い存在です」ということです。ですから「天上天下唯我独尊」とはこの世に存在する全てのいのちは佛のいのちを具えた尊い存在ですということです。
誕生偈とはお釈迦様のみ教え(仏教)をよく味わわれた後世の心ある人がお釈迦様のみ教えを要約してお釈迦様の誕生の第一声にかこつけられたのでしょう


 最近の世相をみますと、毎日のように人の命があまりにも軽く考えられ、恐ろしい残虐な殺人が頻発しています。記憶に新しいところでは川崎の中学一年生の少年が先輩の少年たちに寒い川で裸で泳がされ、挙げ句に殺されました。先日は県立高校の30代の先生が産まれたばかりの子猫4匹を生徒に穴を掘らせ生き埋めにしたという考えられない事件が報道されました。どう考えたら良いのでしょうか。


 生きとし生ける尊いいのちは必ず消滅するのです。今こそ一日一日を大切に貪欲(むさぼりの心)瞋恚(怒りの心)愚痴(愚かで迷う心)の心を抑えるように精進しなさいとおっしゃるお釈迦様の教えに耳を傾け、自分のいのちが大切なら他人のいのちも、あらゆるいのちも大切であることに気づきたいものです。合掌

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