相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『思いどおりにしたい その心が 苦しみをうむ』(2015年2月 1日)

思いどおりにしたい その心が 苦しみをうむ


 人は平和を願い新年を迎えたはずなのですが、新年早々、戦後フランス史上最悪のテロ事件が発生し「シャルリー・エブド」という週刊紙の会社が襲撃され、12名の記者が殺害されたことが報道され、1週間後の1月14日シャルリー紙はテロには屈しないとして一面に「私はシャルリー」と書かれたプラカードを持つイスラム教の預言者マホメットの風刺画を掲載し、普段は6万部発行する週刊紙を300万部発行し、たちまち売り切れたといいます。


 このことに対して「勇気のある決断」と評価する人もいますが「過度の風刺画は他人の気持ちを傷つける」と批判する人もいますと伝えられました。種々な意見があるのは当然のことですから、週刊紙襲撃テロの犠牲者への弔意を表し、テロ排斥を訴える何百万人という大規模なデモが行われましたが、一方ではシャルリー週刊紙襲撃事件を起こしたクアン容疑者を支持する集会も開かれ、クアン兄弟は殉教者扱いをされ「クアン兄弟万歳」まで叫ばれたといいます。


 1月20日にはイスラム過激派組織「イスラム国」と見られるグループが日本人2人の殺害を予告し、身代金を要求した事件が起こり、すでに湯川遥菜さんは殺害されたといわれる。大変な悲しみで恐ろしいことです。皆様はこうしたテロ事件をどう思いますか?私は何はともあれ、テロはいけない。戦争はいけない。暴力はいけないと思います。こうした事件を無くすにはどうしたら良いのでしょうか?


 よく弁論の自由、報道の自由が叫ばれますが、私はここに問題があるのではと思うのです。人間は生まれ育った条件も環境も皆異なるのです。受けた教育も異なるのです。宗教も異なれば文化も異なるのです。そうした異なった中で育まれた思想はそれぞれ異なって当然のことです。ですから自由自由といいますが、相手を思いやる心が根底になくてはならないし、自分が必ず正しい、善であると固執したり、自分の考えと異なるからといって頭から他を否定することはいかがなものでしょうか。私は力によってテロを抑えることはできないと思います。仏教精神こそがテロを無くし、戦争を無くし、真の平和な世界を築くと思うのです。


 仏教が大切にする人の心は
「和顔愛語」(穏やかな笑顔と温かい言葉)
「先意承問」(相手を思いやる心)
であります。
そして法句経に「恨みに報いるには恨みを持ってしては恨みはつきない。恨みに報いるに徳を持ってしてはじめて恨みはつきる」とあります。
このお言葉を口ずさむとき、私は法然上人のことが思い出されるのです。


 法然上人の父親は漆間時国という武士で押領使という役を司る土地の名士でした。上人が9歳の時、土地の支配をめぐっていざこざが絶えず、源内定明の夜襲に遭い命を落とすのです。そのとき父時国は「仇を討つな。もし仇を討てば相手もまたお前を仇と狙ってどこまでも恨みは尽きることがない。仇を討つよりもわしの菩提を弔ってお互いが救われる道を求めて欲しい。」と遺言して亡くなっていかれたといわれます。この父の遺言が、父の法句経に基づく豊かな大きな心が浄土宗を開かれた法然上人を育てたのです。
そればかりではなく法然上人が浄土の教えを弘めてくださったことにより親鸞聖人をはじめ、たくさんの道を求める方々が念仏の心で救われたのです。お陰様で私たちも今お念仏を悦ぶ身にさせていただき、安らぎの生活を送ることができるのです。今こそ仏教精神が世界中にもっともっと弘まり、世界が真の平和になることを願いたいものです。合掌

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