相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『人は一時の幸せを求めては苦しむ ゆるぎのない幸せを求める人にはやすらぎがある』(2014年7月 1日)

人は一時の幸せを求めては苦しむ
ゆるぎのない幸せを求める人にはやすらぎがある


 先日ある女性が私に愚痴をこぼされた。主人の安月給では2人の子供をとても大学には行かせられないので、私も朝5時から市場できつい仕事でしたが頑張って働いたのです。それで何とか2人の子供達を大学を卒業させ、社会に送り出したのです。2人とも家を離れて生活をしているのですが、時には電話ぐらいよこせば良いのに2人とも電話ひとつよこさないのです。主人は主人で毎晩のように飲んで帰り、休みの日はごろごろしていて邪魔くさい限りなのです。考えてみれば親が勧めるから主人と結婚したけれどこれが失敗でした。結婚してもう30年以上経つのに旅行に連れて行ってもらったこともあるのかないのか。結婚記念日にはレストランで外食をと約束したのにほとんど実行されず、なんのために結婚をし、家庭を持ったのか分かりません。私の人生これで終わるのかと思うとなんとも寂しいし腹も立ちます。どうしたらよいのでしょうかと言われる。


私はその方に愚痴をこぼせば切りが無いし、愚痴をこぼしてあぁ清々したと言う人は見たことも聞いたこともありませんよ。あなたは今死にたいと思いますかと尋ねますと、いやー死にたくなんかありませんよと言われる。それならあなたは幸せなのですよと言うと彼女はキョトンとしていました。


 毎年3万人近い人がどうにもならず自ら命を絶つのです。未遂を入れたらその5倍も10倍もの人がいると思いますよ。あなたは死にたくないのだから幸せなのです。正しく人生を味わって幸せを探してください。必ず幸せが見つかりますよと話しをさせていただき、ちょうどその日の毎日新聞の読者の広場に18才の高校生が投稿された文章に、高校生でもこうした考えを持っている人がいるのかと嬉しく思っていたので彼女にも読んで差し上げたのです。


「あなたは幸せですか」と聞かれれば「幸せです」と即答できるが「何故幸せなのですか」と聞かれると即答は困難です。18才になったばかりの私は入学したい大学、乗りたい車、尋ねてみたい外国など夢がいっぱいだが、反面そのような自己中心的な考えや幸せを求めては駄目だとも感じます。だから人の役に立ち、人から感謝され、人の喜ぶ姿を見て自分も幸せを感じられるような大人になりたい。そして何故幸せなのですかとの問いにも即答できるような大人になりたい。と述べられています。


 あなたはこの高校生の考えをどう思われますか。あなたは幸せですかと問われたら、私は不幸ですと答えるのですか。何故不幸なのですかと問われたら、子供や主人が思うようにならないからと答えるのですか。あなたにとって幸せとはなんでしょうか。子供や主人が思うようになることでしょうか。時には旅行に出かけたり、外で美味しい食事をすることでしょうか。それも幸せでしょうが次元が低いと思います。人の幸せはこの高校生が言われるように、人の役に立ち、人から感謝され、人の喜ぶ姿を見ることかもしれません。そのためには骨身惜しまず働くことが大事だと思います。


 そして今あなたにとって最も大事な事は仏法をよくよく聞かせていただくことだと思います。自分の本当の姿、愚かな恥ずかしい自己中心の私でしたと気付かされるまで仏法を聞かせていただくことだと思います。如来の本願に出会いナンマンダブツ・ナンマンダブツとお念仏を悦ぶ身にさせていただけるまで聞かせていただくことだと思います。どうか仏法聴聞にお励みください。必ずゆるぎのない幸せをしっかりと味わえる日が来ると思います。何故幸せですかと問われれば、いつも如来様といっしょですからなんの不安もありません。今日もお念仏と共に明るく過ごさせていただけますとしっかり答えられると思います。合掌

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