相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『当たり前なんかひとつもない 不思議がいっぱい  お陰がいっぱい 悦びもいっぱい』(2014年6月 1日)

当たり前なんかひとつもない
不思議がいっぱい
お陰がいっぱい
悦びもいっぱい


 今、境内はサツキの花とシャクナゲの花が心を和ませてくれています。私は欲張りなのでサツキがもう少し花を付けてくれたらなと、箱根の山のホテルのツツジの見事な姿を思い出しながら、あのようにならないかなと思ってしまうのです。
すると私は暑さ寒さに耐えて、害虫の迫害にも負けず、大雪にすっぽり埋もれながらもはねのけて精一杯咲いているのにまだ文句を言うのか。そういうお前はどれだけ人の期待に応えているのだとサツキの声が聞こえてくるのです。
そうでした。そうでした。サツキは充分頑張っているのに、もっともっと花を付けろなんて自分を顧みず欲張りなことを言って申し訳ないと反省しますと、相田みつをさんの言葉が浮かんできました。


 「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだなあ」


 本当ですね。花は美しいな、可愛いなと人から愛され喜ばれていますが、見えない根っこのお陰があったのですね。幹や枝や葉のそれぞれのはたらきのお陰なのですね。
それにしても時期が来れば花が咲くのも不思議だし、どこからあんなに美しい赤や黄色や白い花が咲くのか不思議で不思議でなりません。
人間も偉くなったり、人の上に立ったり、金持ちにでもなると、自分の力を誇示したがるようですが、偉くなったり、大きくなればなるほど沢山のお陰をいただき、支えられていたことに気付き、不思議なご縁をお陰様と頭が下がらなければいけないのですね。


 私たちは日常の生活の中にどれだけのお陰様を感じているのでしょうか。三度三度の食事を考えた時、どの様な気持ちでいただいていますか。不味いの硬いの文句を言ってはいないでしょうか。魚一匹として私はとることができませんが、命をかけて漁に出てくださった漁師さんのお陰です。大根一本作れませんが汗水流し丹精込めて働いてくださったお百姓さんのお陰なのです。


 私たちはどれだけ沢山のお陰をいただいているか計り知れません。そのお陰は人の力だけではありません。自然界の様々な働き、雨、土の恵みもいっぱいあります。そのお陰を有り難いなと深く味わせていただきますと自然とナンマンダブツ・ナンマンダブツとお念仏がこぼれるのです。感謝のお念仏をいただきますと、当たり前なんかひとつもない。不思議がいっぱいと味わえるのです。


 今このとき命をいただいて生かされていることも不思議です。春には春の花が、夏には夏の花が、秋には秋の花が、冬には冬の花が時期、時期にそれぞれの花が咲くのも不思議です。


 私の力など何もなかった。すべてがお陰でありました。今朝食事がいただけたことも、今日も元気に働かせていただけることも、何もかもお陰様であります。不思議がいっぱい、お陰がいっぱいに気付かされますと悦びの世界が味わえてくるのです。
今朝目が覚めたことも悦び。手足が動くことも悦び。皆様にこうしてお会いできたことも大きな悦びであります。
悦びのお念仏いっぱいの日暮らしをしたいものであります。合掌

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