相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『花咲けば 心なごむ 花散る姿には 感動を覚える』(2014年4月 1日)

花咲けば 心なごむ 花散る姿には 感動を覚える


 つぼみの時は可愛いなぁ!花咲けば美しいなぁ!と人は感動する。しかし花が散り、秋に葉を一枚一枚と落とすとき人は、庭が汚れる。道が汚い。掃除が大変だと愚痴をこぼします。花の姿を正しく味わえば咲くのが花の命なら、散るのも花の命です。


 花は人が見ようが見まいが、誉められようと誉められまいと、あるがままに咲くのです。他の花と比較したり、競争なんて考えず、他の花を羨ましいとは思わずに精一杯生きているのです。そして時期が来れば花は散り、葉を落とし、休息に入るのです。この休息も怠けるわけではないのです。来春に向けての力を養うために休息に入るのです。落とした葉は土に還り肥料となるのです。


 人間も無邪気な赤児の時、純真な少年の時、希望に燃える青年の時、活気溢れる成人の時、何事にも円熟した老人期を迎えるときが来るのです。内容的には裕福な時もあれば、貧しい時もあります。健康な時もあれば、病気で苦しむ時もあります。喜びいっぱい幸せいっぱいの時もあれば、悩み苦しむ時もあります。何かに成功して有頂天になる時もあれば、失敗して落ち込む時もあります。友情に感動し嬉し涙する時もあれば、友に裏切られ悔し涙する時もあるのです。


 それが人でありましょうし、その時その時、楽しい時も、嬉しい時も、苦しい時も、悲しい時も自分のできることを精一杯させていただく。他人に勝った負けたと比較することもなく、無理をして背伸びすることもなく、自分なりに何事もどんな状況におかれても励む心を、花の咲く姿に、花が散る姿に教えられた思いがするのです。合掌

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