相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『人間とは 恥を知り 恩を知り 思いやりの心を大切にする人のことです』(2013年5月 1日)

人間とは 恥を知り 恩を知り
思いやりの心を大切にする人のことです


 私は立派な人間だと思われている方は多いと思いますが、少し考えてください。


1)人は何時でも、何処でも、如何なる場合も心の状態は同じかというとそうではない様です。穏やかな安らぎの心の時もありますが、複雑な社会生活にあっては思いもよらない被害を被ったり、他人から批判や中傷を受ければとたんに激情にかられ怒りの炎が燃えだしてしまうのではありませんか。
一日の生活の中ですら穏やかな心の時もありますが、鬼になったり、修羅道に陥ったり、欲を貪る餓鬼道に苦しむことが多いのではないでしょうか。


2)人は結婚式や上棟式や葬儀等を行う時、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の六曜に惑わされ、節分には煎った大豆を「福は内、鬼は外」と蒔いて利己主義とも思わず厄払いを平然と行い、お祓いや占いに頼ってでも自分の都合に合わせようとしてはいないでしょうか。


3)人は親子の間柄、夫婦の間柄、兄弟の間柄、師弟の間柄、友人同士の間柄など間柄に生きるから人間というのです。間柄に生きると言うことは相手を思いやることが大事だと言うことです。相手を思いやる心を忘れ自分さえ良ければそれで良しと考えてはいないでしょうか。


 こうした姿が立派な人間だと思っている私の実態ではないでしょうか。それでは本当に立派な人間とはどの様な人を言うのでしょうか。犬や猫など他の動物との違いから考えてみましょう。


1)人間には反省の心があります。何かにつけ損得にとらわれ、金や愛や権力に執着し、自尊心が高く、自分の考えは正しいと固執し、他人を傷つけてばかりいた愚かな私でしたと反省する心は他の動物にはないでしょう。


2)人間には敬いの心があります。人間は尊敬すべき人やご恩を承った方にお目にかかれば、自然と言葉遣いや態度に敬いの行動をとるようになるではありませんか。仏様の前では自然と頭が下がり合掌をせずにはおれないではありませんか。他の動物にはこうした心はないでしょう。


3)人間には内面の恥と外面の恥とがありますが、特に大切なことは自身の内面の恥に気付くことだと思います。親鸞聖人が
「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」
「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる」
(愚禿悲歎述懐和讃)
等と悲歎述懐なさっておられますが、このことは正に私の内面の姿であります。恥ずかしい限りであります。
また外面の恥に気付くことも大事なことであると思います。動物は浅ましい行動をとり、それらを見られても恥ずかしいという事はありません。近頃、破廉恥なことをしても恥ずかしいと思わない人が増えてきたように思いますが悲しいことです。


 こうした心は仏法聴聞の中に仏の智慧と慈悲の光に照らされて味わえてくると思うのです。常に仏法に照らして自身を深く見つめ反省する中に恥を知り、ご恩を思い、敬いの心を大切にする人、思いやりの心を大切にする人が立派な人間と言えると思います。合掌

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