相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『良い縁なくして 良い実りはない』(2013年2月 1日)

種を蒔けば 芽が出て
花が咲き 実が成るとは限らない
良い縁なくして 良い実りはない


 小鳥が運んできた種から育った千両が一本、境内の木陰に生えていました。事情があって移植することになり、日当たりの良い柔らかい肥料の肥えた土地に移したのです。水分も充分にやって環境も良くなったので、さぞかしすくすく育つと思いましたが、可哀想に枯れてしまいました。良かれと思ってしたことが、千両にとっては良くなかったのです。
今まで先代が遺された沢山の松やツゲ等を自分で移植して一本として枯らせたことがなく、自信を持っていただけに残念でした。


 自分が思っていること、考えていること、経験したことが必ずしも正しいとは言えないという事を思い知らされました。何が悪かったのでしょう?
以前、大根の鉢植えを大阪の小学校の教師が、子供たちと実験をした話を思い出しました。二つの鉢に種を蒔き、水や日当たりなどの条件はすべて同じように育てたというのです。唯一違うのは言葉でした。一方には「ありがとう。」「元気に育って。」などと優しい言葉をかけ、もう一方には「バカ」「死ね」「うんこ」などと罵ったのです。その結果、優しい言葉で育てられた大根は青々と葉を茂らせ、罵られて育てられた大根は朽ち果ててしまったというのです。子供たちの驚きは大変なものであったそうです。


 この実験でも分かるように、種を蒔けば芽が出て、花を咲かせ、実が成るとは限らないのです。そこには太陽の光や熱、雨の水、肥料などの条件が必要でしょうし、そうした条件の他にも愛情とか、人のお世話とか計り知れないものが働いているのですね。
移植でも愛情が大切だという事でしょう。まして人間なら尚更です。高校の体育部で体罰を受けた生徒さんが自殺をされたり、大怪我を負わされたり、登校拒否になってしまったりと大変な社会問題が起きています。体罰も愛情の無い、ただ鍛えるだけ、勝つだけが目的では駄目なのでは無いでしょうか。愛情があれば頭や顔を殴る、蹴る。あるいは罵るという事は無いと思います。
大根でも罵られれば枯れてしまうのです。人間は尚更です。子供を育てる、人を教育するのに、やくざのような口調で罵られたり、殴られたら良く育つはずが無いのです。


 すべての現象は"因+縁=果"の法則を離れないのです。種を蒔いたという原因に、太陽、水、肥料、環境、愛情などの条件が関わって実るのです。何ひとつ条件が欠けても実らないのです。良い縁なくして良い結果はあり得ないのです。常日頃良い縁を積み重ねる努力も必要だと思います。そのことが幸せに繋がると思うのです。幸せになりたければ生活習慣の中に良い縁を作る努力をしたいものです。
例えば、良い本に目を向ける。良き先生、良き友を求める。寺の日曜礼拝や法要に参詣をする。なるべく良い環境に身を置き心を健やかに過ごす。困っている人、泣いている人がいれば少しでも助けになれるように励むことなどでしょうか。とくに仏法聴聞には励みたいものです。合掌

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