相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『金や物や立場等に拘れば 心は貧しく 拘る心を離れれば 心は豊かになる』(2013年1月 1日)

金や物や立場等に拘れば
心は貧しく
拘る心を離れれば
心は豊かになる


 花屋さんの店頭に春の七草の盆栽を見つけました。セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ。どれも名前はかわいいです。でも、どれを見ても私はあまりかわいいとも、美しいとも感じないのですが、なぜか春の七草、春の七草ともてはやされます。
一方、秋の七草、ハギ・オバナ・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウは野山に可憐に咲いて大変かわいく、何とも風情がありますが、春の七草ほどもてはやされないのはどうしてでしょうか?


 春の七草は
    「セリナズナ・ゴギョウハコベラ・ホトケノザ
                スズナスズシロ・春の七草」
と短歌にもなり、口ずさみやすく親しみを覚えるからだとある方が言われました。なるほど秋の七草は名前を覚えるにも覚えにくいですね。
娘にそんな話をしたら、「お父さん"オオキナハカマハク"と覚えれば良いわよと言われ、なるほどと思う中に種々考えていたら、秋の七草も短歌になるではありませんか。
    「ハギオバナ・クズオミナエシ・フジバカマ
                ナデシコキキョウ・秋の七草」
です。


 それでも秋の七草より春の七草に人が心惹かれるのは美しさよりも強く生きる。堪え忍ぶ生き方に感動するからではないでしょうか。
なんと言っても春の七草は凍てつくような真冬の大地にしっかり根を下ろし、冷たい雨にも震えるような寒風にも負けず、すくすく育つその強い精神力に人は心を打たれるからでしょう。
ですから春の七草の強い逆境に対する精神力にあやかって七草粥を食べて、一年を元気に健康に強い忍耐力で暮らしたいと願うのでしょう。


 新しい年を迎えますと、不思議に世の中どうあれ、悪ければ悪いほど、春の七草のように逆境に負けない強い精神力でがんばろう、励もうという心が湧いて参ります。
皆様も負けずにがんばり続けていただきたいと思いますが、ただがんばるだけではなく、物の見方、考え方、受け止め方を変えてみる必要があると思うのです。仏法の教えによる智慧の眼で正しく見る必要があると思います。


 昨年の日本の世相を振り返りますと、不況だ。不景気だ。どん底だ。どうしようもない。これでは生活ができない。などという声をよく耳にしました。本当にできないのでしょうか?
皆様も経験されたことがおありになったことと思いますが、私も3度3度の食事にも事欠く貧しい時代を味わいました。昨年5月お浄土へ還られた前坊守、そして23回忌を迎えた先代住職のお二人の北朝鮮での生活。終戦を迎え命からがら日本へ戻ることができたことが不思議でなりません。そして信念を曲げず上役にも盾突くがため、上役に疎まれての帯広での生活。その後、当てもなく頼る人もいない相模原へ移住されての厳しい生活の話を聞かされますと、涙を押さえずにはいられませんでした。


 「あの頃のことを思うと今は苦労なんて言う言葉は我々にはありません。」と父、母はよく言われました。私たちはあまりにも夢のような快適な贅沢な生活を覚え、辛抱とか我慢と言うことを忘れてしまったのではないでしょうか。
今こそ消費は美徳。贅沢を誇りとする。使い捨てを奨励する考え方から、物には命がある。物を大切に。物を生かして使うことを考え経済が豊かに、物に恵まれることが幸せであるという考え方から、たとえ経済に、物に恵まれなくとも、心の豊かな生き方があることに気付くことが大切なのでしょう。
豊かな心で生活をされている方の例はいくらでもありますが、何かの本で読んだ少女の話が忘れられないのでご紹介したいと思います。


 洋蘭の栽培では一人者と言われる山本さんという方が、珍しい蘭を求めてタイ国の奥地に出かけられたとき、農家の軒先に珍しい蘭の花を見つけ、早速主人らしい人にこの花を売ってくださいと頼むと「この花は娘の花だから娘に頼め」といわれ、薄暗い部屋の片隅に座っていた娘さんにタイ人の1ヶ月分の給料を払うから売ってくださいと頼むのですが首を縦に振りません。そこで2ヶ月、いや3ヶ月分出すと言ってもウンと言わない。思い切って6ヶ月分ではどうかと言っても悲しそうな顔をしてウンと言わない。山本さんはいい加減にしろという気持ちになって声を荒げてしまったそうです。そうしましたら娘さんはいよいよ悲しそうな顔をして「この花は売りたくないのです。売ってしまえば来年この花を見ることができなくなります。この花は私の心をなぐさめてくれるのです。ですから売りたくないのです。」といわれたそうです。山本さんは娘さんの話を聞いて「あぁ私は蘭の一人者なんて言われながら花の心を忘れていた」と恥ずかしく逃げるように帰ったとのことです。


 この話を読ませていただき、私も心洗われる思いがしました。
      「足るを知らざる者は 富めりといえど貧し
            足るを知る者は 貧しといえど富めり」
釈尊の金言であります。この心を胸に一日一日を大切に本年も歩んで参りたく思います。合掌

最近の記事

月別アーカイブ