相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『浅はかな夢から目覚めて 真のやすらぎの 人生が開かれる』(2012年10月 1日)

浅はかな夢から目覚めて
真のやすらぎの
人生が開かれる


 父親の願いを受けて東京芸術大学の邦楽科を優秀な成績で卒業された金子朋沐枝さんは尺八の演奏家として今では海外にまで進出されご活躍をされています。数年前"あさきゆめみし"という女性3人グループを設立され、日本の伝統ある文化である邦楽を広めたいという思いで活動されているのです。去る9月15日も当寺の鳳凰殿で演奏会が開かれ大変な評判を得られました。私も毎年4月8日の花祭り(灌仏会)に尺八と琴の演奏を参詣された方々に心静かに味わって喜んでいただき、9月にはお月見邦楽演奏会の会場として鳳凰殿をお貸しして陰ながら協力をさせていただいているのです。先日どうしてグループ名を"あさきゆめみし"と命名されたのかを伺いましたところ和風で優しくユニークな名前という事から"いろは歌"の一句あさきゆめみしから取られたのことでした。


 いろは歌は涅槃経の諸行無常偈と呼ばれる四句偈であります。
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂静為楽」の意を


「色は匂へど 散りぬるを
 我が世誰そ 常ならむ
 有為の奥山 今日超えて
 浅き夢見じ 酔ひもせず」
と俗に弘法大師が作られたといわれますが定かではありません。それを平仮名47文字で


「いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑひもせす」
と表し習字の手本とされたので、そのため仏教精神が少し薄れたかと思うのです。ですから


「七つ八つから いろはを習い
 はの字忘れて いろばかり」
というどどいつも作られたのでしょう。


いろは歌の意は「万物はすべて川の流れのようにしばらくも止まらず、常に変化し続け、何ひとつとして永遠に存在するものはない」という事です。世の中のすべての存在は因(直接の原因)+縁(間接の条件)=果という因縁果の法則を離れることはなく諸行無常であるのに無常なものを常住と考えるから苦しむのです。因縁によって作られた諸々の存在(有為)は無常であるのに常に変わることなくあると執着するから迷い、苦しみ、悲しむわけです。そうした迷い、苦しむ状態を奥深き山路に迷い込んだ様子に譬えられ"有為の奥山"と詠われたのです。迷いの奥山を超えることが、人生の本当の相に目覚め心の迷いを吹き消し、真の安らぎの人生を歩むことができるという事を浅き夢見じ酔ひもせず(浅はかな夢は見ないし無明煩悩の酒に酔わされることもない)と詠われたのであります。


 金子さんと"あさきゆめみし"の方々も尺八とお琴で名声を博するとか、経済的に潤いたいとか、単に生活のためというのではなく伝統文化である邦楽の良さを広く人々に知ってもらい、もっと深く味わっていただき、日本の文化を守りたいの一途で"あさきゆめみし"と名乗られたと思うのであります。私も浅はかな夢を追うことなく、無明の酒におぼれず念仏の大道をしっかり歩んでまいりたく思います。合掌

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