相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『泣き悲しんでいるのは 私だけではなかった』(2012年6月 1日)

あの人も泣いていた
この方も泣いている
泣き悲しんでいるのは
私だけではなかった


 母の穏やかな死からだいぶ時間が経過しますが、いまだに朝2階から1階へと降りてくると、母が娘たちに看取られながら寝ておられると錯覚を起こします。親、兄弟、身近な人の死は本当に悲しい。自分だけが悲しみの中にいるような思いになりますが、そうではないのですね。あの人も、この人も泣き悲しんでおられるのです。


 先日も実母を亡くされいまだ満中陰法要も勤めないうちに、38才の若さで癌でお亡くなりになった女性がおいでになりました。若いご主人がこれから何を頼りにどう生きればいいのだと涙ながらにこぼされるのです。


 また、結婚8年目にして初めて待望のお子さんが宿り、それはそれは喜ばれ、祖父、祖母になる方も初孫を大変楽しみにされ、無事産まれるようにとどこかの神社に安産祈願に行ったのですが、待望の赤ちゃんは死産でした。喜びから一転やりきれない悲しみに涙されるのでした。


 みんな泣いているのですね。逃れることのできない愛別離苦の苦しみをどう解決したらいいのか思いふけっているとき、「人生の締めくくりを自分で決める人々」と題されたテレビ番組が放映されました。
最後まで笑顔でいたいから、プロの写真家に頼み沢山のスナップ写真を撮ってもらいその中から1枚を選び自分らしい遺影を作りたいという人。理想の墓を求めたいという人。エンディングノートを残したいという人・・・確かに遺影はどうしよう。墓はどうしよう。葬儀の形はどうしよう。案内はどこまでしよう・・・種々世間体を気にしたり、格好付けようとするから迷うのです。今回母の死に際して私もそうでしたが、今思うとそんなことよりももっと大事なことがあるように思うのです。


 平安時代に絶世の美人と言われた歌人、小野小町は
「我死なば 焼くな うめるな 野にさらせ
           やせた犬らの 腹こらせ」
と詠われたと私の友人が聞かせてくれました。


親鸞聖人は
親鸞 閉眼せば、賀茂河にいれて魚に あたふべし」(改邪鈔)と申されたと言います。
小野小町にしろ、親鸞聖人にしろ、墓を建てて守ってくれとか、立派な葬式を出せなどとはおっしゃらなかったのです。ではどうすれば良いのか、何が大切なのか。


浄土真宗8代目の蓮如上人は
「まことに、死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。されば、死出の山路のすえ、三途の大河をば、ただひとりこそゆきなんずれ。これによりて、ただふかくねがうべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、信心決定してまいるべきは安養の浄土なりと、おもうべきなり。」(御文 1帖目第11通)
と教えて下されました。


 本当にそうですね。この悲しみをご縁にますます仏法を聴聞させていただき、信心をいただき、正定聚(浄土往生が正しく定まった人)の位につかせていただきたいものです。その点、母は仏法を深く深くお味わいなさった方でしたから、22年前に先に往かれた先代住職と阿弥陀如来に迎えられお浄土の七宝の池のほとりで再会を心から悦ばれている。そんな光景が目に浮かんでまいります。倶会一処の世界があって良かったと悦んでいます。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。合掌

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