相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『迷信に拘らず 今日を力強く生きる』(2010年3月 1日)

賜った命と 自覚されれば
迷信に拘らず 今日を力強く生きられる

 ある高校の校長を退職した友人から相談の電話をいただきました。「勤めている頃、親しく種々力になってくれた同僚が昨年の暮れに亡くなっており、案内がなかったので葬式もお参りができませんでした。その先生の死を先日知らされ、今度の命日にお焼香に伺うと先方の奥様に伝えたのですが、暦を見たらその日は友引なのです。どうしたものでしょうか?そしてもう一点、服装は礼服でなければいけないでしょうか?」と問われる。私は、「友引に拘るとは君らしくありませんね。仏教は因縁果の法則を説くので友引等の六曜に拘る必要はまったくありません。何の心配も要りません。」と答えると「安心しました。」と言われる。そして礼服のことは礼服でなくても結構ですが、お数珠を手にすることを忘れないでくださいとアドバイスしました。
 自分は知識人であると内心思い、科学的に生きていることを自負している多くの方の中に友引だ、大安だと六曜に拘る人があまりにも多いのに驚きます。万物の霊長であると自任する現代人がなぜそんなことに拘るのでしょうか。現代人は科学で何事も解決できると思い込み、生きることに自信を持っているようですが、それは錯覚なのでしょう。本当の自信のある生き方ではないと思います。その証拠に大病を患ったり、窮地に陥ると途端に占い、方角、六曜等の迷信に流されてしまうのです。
 生きる本当の自信は、自己の本当の姿に目覚め、全ては生かされている命、賜った命、お預かりした命であることを自覚する必要があるのです。自覚されますと本当に生きるとはどういう事か、何のために生きるのか、このことを真摯に問わずにおれなくなります。仏の教えにそのことを求めてください。仏法聴聞の中に求めてください。必ず今日を力強く生きる力が得られるでしょう。私は私で良かったのだ!力む必要はなかったのだ!この道を迷うことなくしっかり歩んでまいりますと言い切れる本当の自信が得られると思います。曹洞宗のお坊さんであられた良寛さんが「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。 死ぬ時節には死ぬがよく候。これ災難をのがるる妙法にて候。」と申されましたが、まさにこうした生き方でありましょう。
 春のお彼岸がまいります。静かに自分を見つめ、仏法聴聞の中に人間らしく生きる道を、悔いなく生きる人生を、安らぎと本当の悦びを味わえる人生を歩みたいものです。合掌

最近の記事

月別アーカイブ